歌舞伎いろは

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歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」『十六夜清心』『三人吉三巴白浪』
今度の舞台を楽しく見るために

ようこそ歌舞伎へ 尾上菊之助

二枚目として登場し、後半はガラッと変わる清心

 ――今年の「團菊祭五月大歌舞伎」で菊之助さんは、昼夜合わせて5演目で5役をなさいます。昼の部の『十六夜清心』の清心は初役ですね。

 十六夜の弟で清心に命を奪われる求女を、父(菊五郎)の清心で何度か勤め(平成9年11月歌舞伎座ほか)、いつか清心を演じたいと思っておりました。

 ――寺を追われた清心は、稲瀬川で偶然に廓を抜け出した恋人の遊女十六夜と出会い、心中を決意しますが、一人だけ助かってしまいます。その後、はずみで求女を殺め、悔いて自害しようとしますが翻意します。

 稲瀬川の土手で起こる出来事で、風情が大切だと思います。清元の「梅柳中宵月(うめやなぎなかもよいづき)」に乗り、薄暗い中で十六夜と清心で、芝居とも舞踊ともつかない美しい所作を見せる前半と、稲瀬川に飛び込んだけれども「水練の上手が災い」して一人だけ陸に上がり、死のうとするが死ねないという後半をどう演じ分けるのか、父、菊五郎に聞き、勤めさせていただきます。

『十六夜清心』(いざよいせいしん)

 遊女、十六夜と恋仲になり、女犯の罪で寺を追い出された極楽寺の僧、清心。京で出直すつもりの清心でしたが、十六夜が自分の子を身ごもったと聞き、もう死ぬしかないと二人で手に手をとって稲瀬川へ身を投げます。

 ところ変わって、のんびり網漁を楽しむ俳諧師白蓮の船。引き上げた網にかかったのは十六夜でした。息を吹き返した十六夜を馴染み客だった白蓮が死ぬなと説き伏せ、十六夜も子を産むまではと、白蓮に身を任せることにしました。

 一方の清心も死にきれず、陸に上がっていました。通りかかった寺小姓の求女の介抱するうち懐の金に気付き、十六夜の供養にとその金を借りようとしますが、言い争ううちにあやまって求女を殺してしまいました。腹を切って十六夜の後を追おうとする清心でしたが、ふと出てきた月を見て変心、これからは栄耀栄華に暮らそうと稲瀬川から去っていきました。

歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」

平成28年5月2日(月)~26日(木)

『十六夜清心』

清心 尾上  菊之助
十六夜 中村  時 蔵
恋塚求女 尾上  松 也
船頭三次 坂東  亀三郎
俳諧師白蓮
実は大寺正兵衛
市川  左團次

 後半で清心は十六夜ひとりを死なせてしまったと思い、最初は介抱するつもりであった求女を殺め、自身も死のうと考えます。ですが、「しかし待てよ、今日十六夜が身を投げたも、またこの若衆の金を取り、殺したことを知ったのは、お月様と俺ばかり」のせりふから、ガラッと変わり、悪の道に入ります。そこも見せ場の一つですよね。突発的に変わるのですが、悪の部分が、殺人という極限状態に追いやられたときに、心の底から湧いて出てくるのだと考えております。

 清心が口にする「一人殺すも千人殺すも、取られる首はたった一つ」というせりふで、清心の心情を七五調の美しいリズムに乗せ、最も残酷なことをサラッと言わせる。そこに、黙阿弥さんの凄みを感じます。

十六夜を好き、という気持ちに偽りはない

 ――清心をどんな人間だと思われますか。

 十六夜を好きだという気持ちに偽りはないと思います。しかし、死ねない。情けないといえば情けないですよね。賑やかな三味線の音が聞こえてきたから死ねないと言う。すっとした二枚目で登場した前半とのギャップが面白いです。名人といわれた四世市川小団次さんの初演です。

 小団次さんは小男で、声も悪かったけれど、鍛練で名人といわれるようになられた役者と伝えられています。想像ではありますが、きれいな二枚目というだけではなく、清心の人間的な描写を鮮やかに演じられたのではないでしょうか。

 修行僧にもかかわらず、煩悩に迷う弱い人間。それが清心なのだと思います。

ようこそ歌舞伎へ

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