歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



歌舞伎座「三月大歌舞伎」『助六由縁江戸桜』
今度の舞台を楽しく見るために

ようこそ歌舞伎へ 中村雀右衛門

並び傾城、白玉、そして揚巻

 ――『助六』への初出演はお父様の四世雀右衛門が揚巻、十二世團十郎が助六を演じた昭和52(1977)年5月歌舞伎座公演の並び傾城です。どんな感想を持たれましたか。

 場所は廓で登場人物も大勢です。華やかで豪華なお芝居だと思いました。並び傾城は、長時間重い頭(鬘)をかけてじっと耐えています。本当に辛いと思いましたが、せりふを言わせていただくと、その辛さを一瞬忘れることができました。やはり舞台に立ってお客様に注目していただけるのは幸せなんだと感じました。いい気持ちになるから辛さを忘れられるのだと思いました。

 そのときに、いつかは白玉、揚巻をできればとは思いましたが、『助六』は頻繁に上演される演目ではありません。死ぬまでに揚巻をさせていただけるような幸運な機会があればと思っておりました。

 ――揚巻の芝居は花道の出、いわゆる道中から始まります。

 酔いを含んだ「酔態」で出てきて、花道の七三でせりふを言いますが、その時点で揚巻に成り切っていないといけません。後ろに傘持ちや新造、禿(かむろ)など大勢を引き連れているわけですから、それに見合うような傾城でなくてはいけませんし、傾城のトップの松の位の太夫ですから、大きさや風情を出すことが必要です。

 ―― 意休を向こうにまわしての悪態の初音はいかがでしょう。

 父が勤めたことを、少しでもコピーできればと思います。せりふの張り方なども聞かせどころです。父は、芸は真似から入ると言っておりましたので、少しでも父のような風情を出せるようにしたいと思います。

祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)『金閣寺』(きんかくじ)

 吉原仲之町の三浦屋の格子先に、全盛を誇るお抱え太夫、揚巻が帰ってきました。恋人の助六の母からの文を手に思案顔の揚巻。揚巻にそっぽを向かれて腹を立てた髭の意休は助六の悪口を言い出しますが、揚巻は動じることもなく店の中へと消えました。
 そこへ現れた助六は、意休に悪態をつき、意休の子分くわんぺら門兵衛たちともひと悶着起こします。騒ぎが収まったところで、白酒売の新兵衛に呼び止められた助六はびっくり、兄の曽我十郎祐成でした。実は助六は曽我五郎時致で、紛失した源氏の重宝、友切丸詮索のため、喧嘩を吹っかけては刀を抜かせていたのでした。事情を知った新兵衛も加わり、今度は二人で往来に喧嘩をしかけます。
 そのとき、店から揚巻が客の見送りに出てきました。揚巻を取られたと思って客の侍につかみかかるも、すごすごと引き返す助六と新兵衛。侍は二人の母、満江でした。二人をたしなめて母が兄と去り、助六が母の置いて行った紙衣に着替えたところへ、意休が出てきました。揚巻は助六を裲襠(うちかけ)の陰に隠します。しかし、意休の悪態に耐えかねた助六が飛び出すと、意休は助六が五郎と察したうえで、兄弟が力を合わせなければこうなる、と香炉台を切り捨てて去りました。その刀こそ友切丸。血気にはやる助六に揚巻がなにやら耳打ちすると、うなずいた助六も駆け出していきました。

歌舞伎の要素がたっぷり詰まった面白さ

 ――助六に対して揚巻はどんな思いを持っているとお考えですか。

 助六が大好きなんですよね。それが出ないといけないと思います。だからこそ、意休に強いせりふも言えるわけです。「間夫が無ければ女郎は闇」と言い切れるし、「殺されても、助六さんのことは思い切れぬ」と口にできる。

 揚巻は立派なところもなくてはいけませんが、憎らしい女になってはいけないんです。きついことを言って、「ホホホホ」と高笑いしますが、その笑いでもお客さんの共感を呼ぶように、よくぞ言ってくれたと思っていただけるように勤めないといけません。

 ――助六、意休、満江。揚巻は登場人物それぞれに違う顔を見せます。

 満江に対してはお嫁さんになります。揚巻という人物に限らず『助六』というお芝居は歌舞伎十八番でありながら、時代物的な部分、世話物的な部分、いろんな歌舞伎の要素が入っている面白さがあります。個性豊かな登場人物が出てきてさまざまな物語が流れていくところがとても面白いです。

ようこそ歌舞伎へ

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