歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



歌舞伎座「二月大歌舞伎」『熊谷陣屋』
吉右衛門さんのこと、お教えします

ようこそ歌舞伎へ 中村吉右衛門

在りし日の辰之助との思い出

 ――「二月大歌舞伎」では初世辰之助三十三回忌追善狂言が上演されます。吉右衛門さんは辰之助さんとは従兄弟どうし、プライベートの思い出などあればお聞かせください。

 僕が小学校の頃、同じ暁星学園で辰之助さんのほうが学年が下で、たまに帰校時に一緒になりました。当時の彼は尾上左近と名のっていたので、僕が「おい、左に近いの」とからかったら、「萬之助(吉右衛門前名)にいじめられた」と帰ってきたと、大人になって紀尾井町(松緑家)にうかがうようになってから、紀尾井町のおばさんに叱られました。僕はすっかり忘れていて、そんな子どもの頃の話をされてもと思いましたが、「すいません」と謝りました。

 ――芝居で印象に残られたことはありますか。

 『五重塔』(昭和58年4月歌舞伎座)で、僕がのっそり十兵衛をやったときは、彼が相手役の源太でした、お寺の坊さん(朗円上人)が前の山崎屋のおじさん(三世河原崎権十郎)で、おじさんがせりふを覚えていないんですよ。亨が舞台の上で、「よっ」とか「おっ」と声をかけるので、おじさんが余計にせりふがわからなくなってしまった。ものすごく神経質な反面、面白いことをするのも好きな男でしたね。追善と聞いてそんなことも思い出しました。

 ――その2月まで、昨年11月から連続で舞台にご出演されています。

 休演することなく勤めておりますのは、神のご加護としかいいようがありません。ただ、ご加護をいただいて言うのもなんですが、この頃はテレビを見ていて温泉が出てくると、無性に行きたくなる。気づくと毎日、温泉に行きたいなあと思っております。

 以前は舞台の前後にスポーツジムへ行くこともありましたが、最近は、歌舞伎座までの運転がウォーミングアップのようなものです。その運転免許の更新が近づき、自宅に来た通知を見ると認知機能検査というものがあるそうで…。運転に不適切と判断されたらどうしようと心配しております。

 ――ご出演だけでなく、ご指導をお願いされることでもお忙しいですね。

 つい先日も、3月の国立劇場で『積恋雪関扉』の大伴黒主をすることになった菊之助くんの、スチール撮影に立ち会ってきました。稽古はもちろんのこと、彼はいつも非常に熱心で感心しています。その熱意に、こちらも身を引き締めて応えております。

播磨屋!

中村吉右衛門さんをもっと知りたい!

二代目 中村吉右衛門(なかむら きちえもん)

生まれ 昭和19年5月22日、東京都生まれ。
家族 実父は初代松本白鸚、祖父初代中村吉右衛門の養子となる。兄は二代目松本白鸚。
初舞台 昭和23年6月東京劇場『御存俎板長兵衛(ごぞんじまないたちょうべえ)』一子長松で、中村萬之助を名のり初舞台。
襲名 昭和41年10月帝国劇場『金閣寺』此下東吉、『積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)』義峯少将宗貞ほかで二代目中村吉右衛門を襲名。
受賞 昭和59年度 日本芸術院賞ほか受賞多数。平成14年 日本芸術院会員、23年重要無形文化財保持者(人間国宝)、29年文化功労者。
この一年の舞台

平成30年

2月 「二月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『井伊大老』井伊大老/『壽三代歌舞伎賑』太夫元
4月 「柿葺落四月大歌舞伎」(御園座)
『梶原平三誉石切』梶原平三
6月 「六月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『夏祭浪花鑑』団七九郎兵衛
9月 「秀山祭九月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『河内山』河内山宗俊/『俊寛』俊寛僧都
11月 「吉例顔見世大歌舞伎」(歌舞伎座)
『十六夜清心』俳諧師白蓮実は大寺正兵衛/『楼門五三桐』石川五右衛門
12月 「平成30年12月歌舞伎公演」(国立劇場)
『増補双級巴』石川五右衛門

平成31年

1月 「壽 初春大歌舞伎」(歌舞伎座)
『絵本太功記』武智光秀

ようこそ歌舞伎へ

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