Grand Kabuki History (後編)~歌舞伎アウトバウンド100周年に向けて~ Grand Kabuki History (後編)~歌舞伎アウトバウンド100周年に向けて~

海外公演×脚本家

 平成17(2005)年に歌舞伎座で初演された『NINAGAWA十二夜』は「シェイクスピア」×「歌舞伎」×「蜷川幸雄演出」という今までにない組み合わせで演劇界に大きな衝撃を与えました。平成21(2009)年3月には日英修好150周年を記念するイベントでイギリスからの招聘を受け、シェイクスピアの本場であるロンドン・バービカンセンターでも上演。脚本を担当した今井豊茂さんに、どのようにして作品がつくり上げられたのかをお話いただきます。


今井豊茂(いまい とよしげ)

松竹株式会社歌舞伎製作部芸文室所属。歌舞伎の脚本、補綴に従事。平成23(2011)年にMETで研修を行う。主な作品に『染模様恩愛御書』『NINAGAWA十二夜』『源氏物語』など。『あらしのよるに』では第44回平成27年度大谷竹次郎賞を受賞。令和2(2020)年12月歌舞伎座『心中月夜星野屋』の演出を手がける。


インタビュー・文・写真/歌舞伎美人編集部

シェイクスピアの世界観そのままを歌舞伎に

―まずはシェイクスピアの名作、『十二夜』を歌舞伎にすると聞いたときの率直な思いをお聞かせください。

 寝ているときに菊之助さんから電話がかかってきて、『十二夜』を蜷川さんの演出で歌舞伎にすることになったので、脚本を書いてほしいと言われました。最初寝ぼけていたのですが、だんだん目が覚めて実感が湧き、僕でいいのかな?という思いでした。

―シェイクスピアの作品を歌舞伎に、それも蜷川さんの演出ということで、上演までの製作過程をお聞かせください。

 まずたたき台を普段の歌舞伎のつくり方で始めました。原作があるので、日本に置き換えると時代設定をどうするか、つまり、シェイクスピアをどう歌舞伎のなかに入れていくかを考えました。そこでまず時代を南北朝時代にし、その当時の歴史上の人物、西園寺公宗をモデルに、琵琶姫(ヴィオラ)と主膳之助(セバスチャン)をその人の子どもという設定にしました。歌舞伎でいう時代物、歌舞伎狂言としてつくっていました。
 ところが、たたき台をご覧になった蜷川さんからは、「シェイクスピアに歌舞伎を近づけてほしい」と、場割りも変えずにシェイクスピアを歌舞伎にアレンジすることを求められました。古い文語体の言葉で書かれている、坪内逍遥の英訳本をベースにまずまとめ、その後も福田恒存訳、松岡和子訳でも執筆したのですが、最終的に蜷川さんから「小田島雄志訳を使ってほしい」と言われたので、すぐに本屋へ小田島訳を買いに行きました。使用する訳本が決まってからは、蜷川さんと二人で綿密に打ち合わせる機会もあり、その後は安心して台本をつくることができました。

『NINAGAWA十二夜』平成21(2009)年のロンドン、新橋演舞場、大阪松竹座、三大都市公演決定のチラシ

―シェイクスピアの作品に歌舞伎の世界観をもっていくのはどのような苦労があったのでしょうか。

 台本作成のうえで苦慮したのが、登場人物の性格や身分の設定。特に日本と海外の階級制度とは違うところがあります。一番困ったのが捨助(フェステ)の役どころ。道化に当てはまる身分が日本にはなく、一番近いのはたとえば豊臣秀吉のお伽衆(おとぎしゅう)、曽呂利新左衛門 のような人なのでしょうけど、主人に向かって『阿呆』なんて言ったら首を討たれるぞ!というイメージですからね(笑)。
 安藤英竹(サー・アンドルー)は、小田島訳で「僕」と言っているので、わざと歌舞伎でも「僕」としました。脚本担当者としてこの役を考えたときに、英竹は外国語が話せる、ある種のインテリな人物なので、劇中でも「僕」を使用してもいいのでは、ということで。蜷川さんも演出家の眼から、そっちの方がおもしろいと言われました。

 シェイクスピアの文章を歌舞伎語に翻訳するとき、原作を読んでいて抱いた違和感を、お客さんも同様にお芝居を観ているときに抱いてしまったらだめだという思いがあり、その違和感はどのように希薄にするか、と考えていましたね。

―日本の公演が決まった際にその時点で海外の公演は想定されていたのでしょうか。

 出来たらいいよねという話は、結構早い時期からしていたという記憶はあります。ただ歌舞伎座(平成17〈2005〉年)で昼夜同一狂言の公演をやることはその当時はある種の冒険で、それを成功するためにも自分に与えられた役目を果たすというだけでした。ただ菊五郎さん、菊之助さんや蜷川さんはおそらく海外での公演を考えておられていたのではないでしょうか。

ロンドンで花を咲かせた『NINAGAWA十二夜』

満席となったバービカンシアター/©松竹

―ロンドン公演へ向けてはどのような準備があったのでしょうか。

 だいたい海外でのミュージカル公演は2時~2時間半、ACT 1とACT 2の間に休憩15分が定型かと。その習慣のある現地の観客の生理的な条件も加味して、相当カットしなければいけませんでした。
 2幕目最初の菊之助さんの踊りもおそらく、初演とロンドンとその次の再演まで毎回変わっていたと思います。獅子丸の恋を踊りで表現しようと当初つくったのですが、西洋の方にも伝わるよう菊之助さんや振付の尾上菊之丞さんと相談させていただき、変えていきましたし、捨助が酒盛りしているときに、菊五郎さんが歌って踊った場面は長唄さんが歌ったりと、マイナーチェンジをしてテンポを出すということが一つの大きな課題でした。

―ロンドンのお客様の反応はいかがでしたか。

 まず、シェイクスピアの作品であること、また、現地でのロイヤルシェイクスピアカンパニーと比較してご覧になった方も少なくないと思います。やはり、向こうの観客の方は、我々が考える以上にお芝居が生活のなかに習慣として根付いているから、見巧者が多いと思いますね。あるいは見巧者でなくても、日本と比べると演劇に興味をもっている方が多いと肌感で感じます。ですから、そういう方たちのなかでは賛否があったと感じましたし、ネガティブな感想はとても参考になりました。
 蜷川さんが、「ロンドンで花開いたシェイクスピアの作品の種を日本にもってきて、日本で種が根付いた。そこで今度は日本で咲かせた花をロンドンにもってきた」とおっしゃったことは非常に印象に残っていますね。

―字幕の翻訳はどのように行われたのでしょうか。

 まず字幕は舞台の邪魔にならないように出そうと、翻訳を担当してくださったロナルド・カヴァイエさんにお願いをしました。スクリーン上では、シェイクスピアの原文とそうでないところとの比較ができるように、あえて字体を変えました(原文を普通の書体で表示し、今回『NINAGAWA十二夜』で新たに作成した部分をイタリック体で表示)。
 我々が忠臣蔵を細かくは知らなくても、ある程度の流れは知っているように、現地のオーディエンスはもっとシェイクスピアのことを知っているという前提でいたので、字幕を見なくても作品の内容は把握されていたと思います。

かつてのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの拠点、バービカンシアターで上演/©松竹
劇場の左右には字幕のスクリーンが設置された/©松竹

―実際にカヴァイエさんとはどのようなコミュニケーションがあったのでしょうか。

 現地の方の感覚で、これって…?と思うところをまずピックアップしてもらい、ここはこのように訳そうと思っている、ここはカットしても構わない、など細かいやりとりはありました。せりふも全部訳すと長くなってしまうので、どこを訳すかはカヴァイエさんに託しました。作品に関わるときに、お芝居を分かっている方がいてくれるかどうかで全然違ってきますので、この『NINAGAWA十二夜』はやはり(歌舞伎に精通している)カヴァイエさんに翻訳していただいたということが、ロンドン公演を行うにあたって大きかったのではないかと、今振り返って思います。

―特にロンドン公演を通して、ご自身が感じたことはありましたか。

 僕らが考えているオーディエンスの感覚というのは、実際は違うと思うんです。日本人が、向こうのお客さんに受けるであろうと思うことは受けない、というように。彼らは僕らが想像する以上に、理解力のある方が多く、そういう方たちの鑑賞する目に応え得るクオリティを、我々もつくっていかなくてはいけないと思います。歌舞伎座で日々やっている公演と、同じクオリティのものをきちんと海外にもっていけば、たとえ言葉が分からなくても、肌で実感してくださるということは紛れもない事実だと思います。ですのでこれから海外公演を考えていくときは、僕の立場だったら作品をどうしていくか、ということを頭に入れて取り組んでいかなければと考えています。

―最後に、今後の海外公演に向けて思うことがありましたらお聞かせください。

 国内でもそうですが、海外公演に携わった人がそこでの経験や縁を次に伝えていくことが必要ではないのかなと。10年前METに短期で研修に行ったときに、アンソニー・ロス・コスタンツォさんと出会ったことで『源氏物語』にも出ていただいたり、彼がまた次の人を紹介してくれたりしました。海外公演の場合、現地の劇場スタッフや製作の方など、コミュニケーションを重ねますが、仕事を終えたら「さようなら」ではなく、その後も、そうした方々との縁を繋げておくことが次の海外公演の役に立ったり、何かのきっかけになっていくのではないでしょうか。

字幕翻訳者ロナルド・カヴァイエさんからみた『NINAGAWA十二夜』~

ー『NINAGAWA十二夜』は現地の方にどのような印象を残したと思いますか。

 蜷川さんはイギリスでもかなりのファンがいて、作品もよく知られていますが、『NINAGAWA十二夜』は歌舞伎俳優が演じたことで、彼のこれまでの作品とは少々異なっていたと感じます。歌舞伎の様式的演技は、歌舞伎に精通している人には理解しやすい一方で、シェイクスピアの“一般的な”演出を期待していた観客にとっては、少々不思議な感覚だったかもしれません。しかし幕が開いてしばらくすると、観客は歌舞伎俳優がつくりだす舞台に慣れ、受け入れたように見えました。舞台美術はステージセットや衣裳、特に女方の衣裳の美しさは高く評価され、大成功を収めたと思います。

バービカンセンターで表示された字幕用の台本

ーシェイクスピアの原作を意識しながらどのように字幕用の英訳を行いましたか。

 現地のプロデューサーとは、可能な限りシェイクスピアの原文を使おうという話になりました。しかし脚本が原作と完全に一致するものではなく、せりふのカットや追加などの微調整があり、その部分を私が“シェイクスピア風”に訳してしまうと、それは確実に間違った選択であると感じたため、試行錯誤して“現代”の英語で訳しました。結果的に私の“現代”の英語と“シェイクスピア原作”が入り混じった字幕となりましたが、上手く対比させながらバランスを取るように心がけました。
 また、シェイクスピアのせりふはどれもとても長く、字幕画面で表示する文字数の関係上、カットをせざるを得なかったのですが、原作を把握している方はその違いに困惑したかもしれません。そこは調整が難しく、仕方のない部分ではあったと思います。ただ私たちは観客に字幕を読むばかりではなく、純粋に歌舞伎の舞台を、お芝居を観て楽しんでいただきたい、という気持ちでいました。

ー歌舞伎を海外で上演することについてどのように思いますか。

 ロンドンでの公演がせっかく好評であっても、その次の公演が5年、10年、さらにはもっと後になってしまうのは残念なことで、歌舞伎の海外公演の機会が増えていくことを願っています。また海外公演が単に“異国情緒のスペクタクル”という認識で終わらないように、本来であれば一語一句理解されることが理想ですが、それは完全には無理であるとしても、演目の内容をしっかり理解して歌舞伎を楽しんでもらえるように、今後も海外公演でイヤホンガイドや字幕をぜひ活用してほしいと思います。 
     


 初めての海外公演から93年。日本を代表する伝統芸能の一つである歌舞伎は、国際文化交流の場において大きな役割を果たしてきました。歌舞伎の世界観を海外に伝えるべく、古典演目に主軸をおきながらも、20世紀以降は多彩な取り組みに挑み、歌舞伎のさらなる魅力が海外へ発信されることとなりました。いつの時代も、歌舞伎俳優と大勢のスタッフの強い思いによってつくり上げられた海外公演。今後も新たな進化を遂げながら、歌舞伎ファンを増やしていくことでしょう。

 前編・後編の2回にわたり、歌舞伎の海外公演を振りかえる「Grand Kabuki History」をご覧いただき、ありがとうございました。

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