「歌舞伎は旅する大使館」—— この言葉は、歌舞伎の海外公演の意義を表現した言葉としてよく知られています。文化的側面から国際交流に大きな役割を果たしながら、歌舞伎は100年近く海外公演を重ねてきました。本来であれば、日本文化への興味が一層盛り上がるはずであったこの夏。新型コロナウイルスの広がりにより、国と国との往来が阻まれる事態となっています。
海を越えての文化交流が戻るよう願いを込めて、歌舞伎美人では歌舞伎の海外公演の歴史を振り返る特集を企画しました。1920年代からの公演をたどった前編に続き、後編では平成12(2000)年以降の公演に焦点をあて、歌舞伎俳優・大道具社長・脚本家が見た海外公演の景色を語っていただきます。
昭和56(1981)年に四世坂田藤十郎さんが結成した近松座は、今年で40周年を迎えます。その活動は国内にとどまらず、初の海外公演となる近松座訪英公演にはじまり、ロシア、中国、韓国、アメリカと、近松門左衛門の作品を世界各国で上演してきました。今回は父・藤十郎さんとともに近松座の舞台に立ってきた中村鴈治郎さんに、海外公演でのご経験や思いを語っていただきました。
インタビュー・文/清水まり
インタビュー撮影/松竹演劇ライツビジネス室
構成/歌舞伎美人編集部
世界に通用する歌舞伎のドラマ
初めての海外公演は昭和63(1988)年のことで、カナダ、アメリカ、メキシコの3カ国を約2カ月かけて巡りました。アメリカ大陸の東海岸から西海岸へ移動しハワイを経て、メキシコという旅程。『封印切』で父(四世坂田藤十郎)の忠兵衛を相手に梅川を勤めたのですが、女方に対する関心がどこも非常に高かったのを覚えています。男が女を演じてそれが芸術として成り立つということが、あの当時の彼らには不思議なようでした。そして歌舞伎特有の様式美に頼らずとも、『封印切』のようなドラマを重視した作品が、海外でも通用することを知りました。
少し間をおいて次に訪れたのは英国(平成13〈2001〉年)です。昭和56(1981)年に父が立ち上げた近松座の公演として、でした。英国にロイヤルシェイクスピアカンパニーがあるように、自国の偉大な作家である近松門左衛門の作品を上演する劇団をつくりたいという父の夢を実現させたのが近松座です。
演目は生涯を通じて父の代表作となった『曽根崎心中』。近松という作家を父が強く意識するきっかけとなった作品で、21歳で初めてお初を演じた父は注目を集め、“扇雀(当時の名)ブーム”という言葉まで生まれました。
父のお初を相手に私が演じたのは徳兵衛。遊女のお初と恋人関係にある手代で、名もない庶民の純愛は世界中どこでも起こり得る物語です。華やかな装置や歌舞伎特有の派手な演技があるわけでもなく、二人の心情に則して芝居は淡々と進んでいきます。
日本での歌舞伎公演と違って、役者の登場で拍手が起こるようなことはありません。客席はシーンと静まり返っています。『曽根崎心中』は客席が暗いのでお客様の様子は見えないのですが、その静けさのなかで皆様がドラマに入ってくださっているのを感じていました。そしてすべてが終わったとき、拍手が起こりました。それは次第にものすごいものへと転じていったのです。そしてカーテンコール。あの光景は忘れられません。
歌舞伎のドラマは間違いなく世界に通用する。『封印切』のときに感じた思いは確信へと変わりました。その後、『曽根崎心中』はロシア(平成15 〈2003〉年)、韓国・アメリカ(平成17 〈2005〉 年)でも上演し、その思いは一層強くなりました。
キリスト教信徒の多い国では、心中を扱った芝居は見合わせたほうがいいのではないか、という意見が出たことがあります。自ら命を絶つのは彼らにとって非常に罪深い行為ですから。けれど心中は結果であって、大切なのはお初と徳兵衛の物語をどうお見せするかということです。描かれているのは若い恋人たちの純粋な愛。その愛を貫いて死に向かうのはシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』も同じことです。結果、『曽根崎心中』を上演し、芸術は宗教を超えるということを身をもって知りました。
芝居そのものとは別の意味で印象深かったのは韓国です。ちょうど竹島問題で両国間に緊張が走っていた頃で、そんなときに日本人が公演を行って大丈夫なのかと心配されました。開催が危ぶまれ、実際に光州で予定されていた公演は中止となりました。それでもソウルと釜山では上演がかないました。
そしてそんな状況でも劇場にいらした方は惜しみなく拍手をしてくださいます。聞けば、周囲の目をかなり気にしながらの来場だったそうです。ということは、行きたくてもそうした理由で断念された方々もいらっしゃるはず。空席がそれを物語り、どこかコロナ禍の今に通じるものがあるようです。
政治がどうあろうと、庶民同士は文化を通して通じ合えるのだと実感できたのは非常に大きなことでした。そういう意味でも海外公演は意義のあることだと思います。さまざまな事情が絡み合った問題は簡単には解決しそうにありませんが、だからこそもう一度韓国に行ってみたいとも思います。
芸術に対する国民の理解ということに関しては、英国やロシアなどを訪れると日本はまだまだ及ばないと実感します。特にロシア人の意識の高さは国家規模で、劇場と学校が一体化しているところが多々ありました。教育として文化芸術に力を入れている国なのです。そういう環境で育っていますから、ロシアでプロになれるのは本当に優秀な人です。そして人々は、基礎を踏まえた高度な技術を身につけたアーティストに対して畏敬の念を抱いている。文化芸術がごく普通に、日常に溶け込んでいると思いました。
そのロシアでは近松座として『傾城反魂香』も上演(平成30〈2018〉年)しています。このときもいらしてくださった方々は、夫婦の情愛を描いた物語をストレートプレイとして楽しみながら、真剣にご覧くださっていました。前回の訪露公演では字幕をまず日本語から英語に訳しそれからロシア語にするという作業だったのですが、このときは日本語からダイレクトにロシア語に訳したそうです。詳しいことはわかりませんが、より行き届いた翻訳になっていたと思います。