歌舞伎いろは

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新橋演舞場「壽新春大歌舞伎」『雙生隅田川』
三代目右團次さんのこと、お教えします

ようこそ歌舞伎へ 三代目 市川右團次

皆さんに後押しされての襲名

 ――右團次襲名に至るまでの経緯を教えてください。

 最初に市川海老蔵さんが、二代目右團次さんのお孫さんの右之助さんとお話をされ、このご提案をいただきました。右團次は上方の名跡で、私が大阪生まれであること。右團次がケレンの系譜の名であり、私がケレンを得意とする三代目猿之助(猿翁)のもとで修業をしていたこと。“右”の字が共通していること。その三つの観点から「右團次はどうでしょう」とおっしゃってくださったことからスタートしました。その後、師匠の猿翁、会社にもお話をしてくださいました。師匠をはじめ、四代目猿之助さん、中車さん、澤瀉屋一門の仲間。皆さんが後押しをしてくださいました。

 ――襲名発表後、ご心境の変化はおありですか。

 ご報告のご挨拶回りをしている間に、だんだん自分が右團次で、右近が息子の名だと感じられてきました。ご挨拶回りには、そういう効果もあるんですね。

 ――同時に初舞台を踏まれるタケルさんは、どんなご様子ですか。

 幸い、歌舞伎が好きなようです。家では伸び縮みする突っ張り棒を孫悟空の如意棒のようにしたり、知盛の長刀のように扱って遊んでいます。やりたい役を尋ねると、『ワンピース』の白ひげと言います。「出番が少ないから」ということでした。

これから歌舞伎を志す人の光明になれば

 ――もともとは本名の右近の名が、息子さんに二代目として受け継がれることに関しては、いかが思われますか。

 今日まで厳しくも優しく愛情を持って、師匠に育てていただいたおかげだと思います。歌舞伎俳優の家の出身ではない私が大名跡を襲名し、右近の二代目が誕生する。同じような人がこれから歌舞伎を志すときの光明になり、歌舞伎の未来の一ページを開くようになればと、松竹様からも言われました。私自身もその気持ちを十二分に力として、若者の道標のような役者になれたら、それが皆さんへの恩返しになるのかと思います。

 ――では、右團次として今後、演じたいお役はおありですか。

 師匠が確立されたケレンの作品は演じたいです。古典なら『義経千本桜』「四の切」の忠信と狐忠信。私たちのためにつくっていただいた『華果西遊記』もケレンの集大成になっていると思います。屋号は高嶋屋になりますが、澤瀉屋の師匠がなさった演目に右團次色を入れていければと思います。

※澤瀉屋の「瀉」のつくりは正しくは“わかんむり”です。
※高嶋屋の「高」は正しくは“はしご高”です。

三代目 市川右團次 高嶋屋!

市川右團次さんをもっと知りたい!

三代目 市川右團次(いちかわ うだんじ)

生まれ 昭和38年11月26日、大阪府生まれ。
家族 父は日本舞踊の飛鳥流宗家家元、飛鳥峯王。息子は武田タケル改め二代目市川右近。
初舞台 昭和47年6月南座『大岡政談天一坊』一子忠右衛門で、本名で初舞台。
襲名 昭和50年に三代目市川猿之助(現・猿翁)の部屋子となり、同年1月大阪・新歌舞伎座、同年7月歌舞伎座の『二人三番叟』附千歳で初代市川右近を名のり部屋子披露。平成29年1月新橋演舞場『雙生隅田川』『錣引』ほかで三代目市川右團次を襲名。
受賞 平成元年松尾芸能賞新人賞、同8年眞山青果賞奨励賞ほか、受賞多数。
この一年の舞台

平成28年

1月 「初春花形歌舞伎」(新橋演舞場)
『菅原伝授手習鑑』「車引」梅王丸/『弁天娘女男白浪』日本駄右衛門/『七つ面』舞台番右近
3月 スーパー歌舞伎II(セカンド)『ワンピース』(大阪松竹座)
『ワンピース』白ひげ
4月 スーパー歌舞伎II(セカンド)『ワンピース』(博多座)
『ワンピース』白ひげ
6月 「六月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『義経千本桜』「渡海屋・大物浦」相模五郎
7月 「七月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『柳影澤蛍火』茶道千阿弥/『鎌髭』猪熊入道
8月 「八月納涼歌舞伎」(歌舞伎座)
『東海道中膝栗毛』盗賊白井髭左衛門
11月 「博多座十一月花形歌舞伎」(博多座)
『石川五右衛門』豊臣秀吉

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