役者絵からひも解く歌舞伎の世界 奇想の役者絵 役者絵からひも解く歌舞伎の世界 奇想の役者絵

奇想の役者絵


 歌舞伎とならんで、海外でも日本文化の粋として親しまれている浮世絵。葛飾北斎、歌川広重の風景画、鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿の美人画、そして近年、人気を高めている武者絵の歌川国芳と、江戸の人気絵師たちの作品は、内外を問わず今も数多くの人を魅了してやみません。

 そんな浮世絵の半数を占めているのは、実は歌舞伎の舞台や当時の人気俳優の姿を描いた役者絵です。役者絵というと写楽の大首絵がすぐさまイメージされると思いますが、それ以外にも数多くの浮世絵師たちの役者絵が残存しています。このコーナーでは、展覧会などではなかなか紹介されることの少ない役者絵に光をあてて、役者絵から歌舞伎の世界へ皆様をご案内します。


 江戸時代後期に活躍した浮世絵師である歌川国芳の人気は、近年、国内外を問わず飛躍的に高まっていて、その作品を目にする機会が多くなっています。

 現代のグラフィックや漫画にも通じるような大胆な構図の「相馬の古内裏」「讃岐院眷属(けんぞく)をして為朝をすくふ図」といった武者絵を始め、刺青が目をひく「通俗水滸伝」シリーズ。さらには猫を擬人化した戯画や、ヨハン・ニューホフによる蘭書「東西海陸紀行」(1682年刊)の銅版画挿絵をもとにした洋風画の表現を取り入れた作品の数々と、その作品は実にバラエティに富んでいます。

 そして国芳は、役者絵も数多く手がけていますが、当時随一の人気絵師で役者絵を得意とした、国芳の兄弟子である歌川国貞(のちの三代歌川豊国)が正攻法の役者絵を描いたのに対して、国芳は役者絵においてもその奇想性がうかがわせる作品を遺しています。今回はそんな国芳ならではの役者絵を紹介しましょう。

狐忠信=四世市川小團次、源義経=八世市川團十郎、静御前=初世坂東しうか

「狐忠信」(きつねただのぶ)

絵師:歌川国芳 寛政9(1797)年生~文久元(1861)年没
落款:一勇斎国芳画(芳桐印)
判型:大判錦絵
刊年:嘉永元(1848)年「吉村」「村松」(名主印)
版元:伊場屋仙三郎


 今回紹介するのは名作『義経千本桜』の四段目にあたる川連法眼館、いわゆる『四の切』を描いた「狐忠信」という作品です。

 雨乞いのために、大和国の千年の功ふる牝狐と牡狐が狩り出され、その生き皮をもってつくられた〝初音の鼓〟は、長らく宮中にありましたが、源義経へと下賜されました。その後、義経の都落ちに際して、初音の鼓は義経の愛妾である静御前の手に渡ります。

 一方、親を亡くした子狐は義経の家臣である佐藤四郎兵衛忠信の姿に化けて、静御前の供となり、ふた親の魂がとどまる初音の鼓に付き添いますが、ついに正体が見あらわされ、一度は泣く泣くその場をあとにします。しかしその孝心を愛でた義経は、初音の鼓を子狐に与え、子狐は喜びにうち震えながら、その古巣へと戻っていきます。

 描かれた場面は『四の切』の幕切れ、初音の鼓をくわえて古巣へと戻っていく、狐忠信の宙乗りでの引っ込みを描いています。国芳が取材した舞台は、嘉永元(1848)年3月江戸市村座で上演された『義経千本桜』で、狐忠信を演じたのは、その前年に上方での多年に及ぶ修業を終えて、江戸へと帰ってきた四世市川小團次です。『四の切』の狐忠信は京坂の地でも喝采を浴びた小團次の当り役のひとつで、この江戸での上演の折も宙乗りが大変な話題となり、大当りをとったことが当時の記録に残っています。

 そんな話題の舞台を国芳は、宙乗りで引っ込んでいく狐忠信の姿をクローズアップして描き、これを見送る義経と静御前の姿を小さめに描くことによって遠近感をかもし出しています。大判錦絵1枚という限られた画面のなかで、躍動感あふれる『四の切』の幕切れを的確に描ききっているところに、国芳の画面構成力の非凡さがうかがわれます。

 そして特筆すべきは、宙乗りの仕掛けを実にリアルに描いていることです。宙乗りの場面を描いた役者絵はこの作品以外にも数多く残っていて、時代は下りますが、国芳の兄弟子である三代豊国が、同じ四世小團次の宙乗りの様子を描いた役者絵と見比べると、その特異性がよくわかるかと思います。

 三代豊国は宙乗りのための仕掛けを目立たせずに、あくまで役者絵としての見た目の美しさに重点をおいて描いていますが、国芳は宙乗りの仕掛けをリアルに描くことによって、従来の役者絵以上に、取材した舞台の様子とその興奮を絵で再現しようと試みたのではないでしょうか。

 国芳研究の第一人者であった鈴木重三氏は、「国芳の奇想」という文章のなかで、国芳の絵師としての特徴を単純明快に次のように記されています。

 「かれが、伝統的な浮世絵様式を主として持しながら、しかも私どもの通念にしている浮世絵観からすれば思いもよらぬ近代的洋画的視覚に基づいた奇想を発揮するはなはだ異色の画家であった」

 まさに今回紹介した作品は、そんな国芳の奇想が発揮された役者絵と位置付けることができるでしょう。

参考図
三代歌川豊国画 「夜這星の精」
夜這星の精=四世市川小團次

安政6(1859)年9月江戸市村座
『日月星昼夜織分』(じつげっせいちゅうやのおりわけ)に取材。『流星』の初演。

「狐忠信」部分拡大図

 加えて今回の作品で注目していただきたいのは、狐忠信の衣裳です。いわゆる毛縫いの衣裳を肌脱ぎした形となり、火炎宝珠(かえんほうじゅ)を散らした緋色の襦袢姿(じゅばんすがた)となっていますが、毛縫いの衣裳の表現に、空摺(からずり)の技法が用いられています。この空摺とは、版木に色をつけずに摺ることによって、紙に凹凸をつける浮世絵版画ならではの技法で、毛縫いの糸の立体感を表現しています。またこの頃の狐忠信の衣裳は、丸ぐけの帯を用いて狐の尾の表現をしていましたが、のちにこちらも毛縫いの帯となり、現行の狐忠信の衣裳が完成しました。

 四世小團次は、今回とり上げた狐忠信や石川五右衛門の宙乗りなどで人気を博す一方で、三世瀬川如皐の『東山桜荘子』(『佐倉義民伝』)で大当りをとったほか、河竹黙阿弥(当時 二世河竹新七)と提携して、『小袖曽我薊色縫』(こそでそがあざみのいろぬい)の清心や、『曽我綉侠御所染』(そがもようたてしのごしょぞめ)の御所の五郎蔵など、今日に残る名作の数々を初演しました。まさに幕末の江戸歌舞伎をけん引した立役者というべき存在です。

 そして、四世小團次の狐忠信の宙乗り演出は時を経て、昭和43(1968)年4月、三代目市川猿之助(現 猿翁)によって復活されて、上演を重ね、国内のみならず、海外でも喝采を博しました。その後、三代目猿之助の当り役を集成した「三代猿之助四十八撰」にも選ばれていることはご存知のとおりです。