役者絵からひも解く歌舞伎の世界 “十三代目市川團十郎白猿襲名にちなんで” その弐 役者絵からひも解く歌舞伎の世界 “十三代目市川團十郎白猿襲名にちなんで” その弐

“十三代目市川團十郎白猿襲名にちなんで” その弐


 待望の十三代目市川團十郎白猿襲名披露興行が、いよいよ幕を開けました。歌舞伎美人では「役者絵からひも解く歌舞伎の世界」で、11月、12月に歌舞伎座で上演される襲名披露狂言を描いた市川團十郎家にちなんだ役者絵、さらにその周辺資料をご紹介します。


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 今回の十三代目市川團十郎白猿襲名披露興行では、2カ月にわたって、歌舞伎十八番の『助六由縁江戸桜』が上演されていますが、その『助六』の舞台を描いた役者絵を最初にご紹介します。

 ここで取り上げた作品は、嘉永3(1850)年3月に江戸中村座で上演された『助六廓の花見時』に取材したもので、八世團十郎の助六を中心に、髭の意休、白酒売、揚巻、白玉、かんぺら門兵衛、朝顔仙平、さらに福山かつぎ、外郎売の九人を描き込んでいます。

ういろう売=初世市川幸蔵、三浦屋揚巻=初世坂東しうか、しら玉=六世市川新車、大ぜん(福山かつぎ)=三世尾上新七、髭の意休=四世市川小團次、花川戸助六=八世市川團十郎、白酒売新兵衛=七世市川高麗蔵、閑寺門兵衛=初世中山市蔵、朝顔仙平=初世市川広五郎

「助六廓の花見時」(すけろくくるわのはなみどき)

絵師:三代歌川豊国 天明6(1786)年生~元治元(1864)年没
判型:大判錦絵横絵
落款:一陽斎豊国画
刊年:嘉永3(1850)年 「馬込」「浜」(名主印)「シタ売」
版元:小林泰治郎


 当時、江戸を代表する花形俳優であった八世團十郎にとって2度目となる助六は、大変な評判となりましたが、その人気のほどがうかがわれる次のような伝説が残っています。
 このとき、八世團十郎は助六が本水(ほんみず)の入った天水桶の中に隠れる、水入りの場面まで上演しましたが、舞台で使ったあとの天水桶の水を、徳利1本につき、金1分(約2万円)で売り出したところ、これを化粧水にして使おうと思う女性客の間で飛ぶように売れ、水が足りなくなったと伝えられています。(西田菫坡『俳優百面相』) 

 ところで『助六』の役者絵になぜ外郎売が?と思われる方もいらっしゃるでしょう。実は江戸時代の『助六』では、並び傾城たちの前に外郎売が登場し、外郎の言い立てを見せる場面が付け加えられることがありました。
 嘉永3年上演の折には、八世團十郎の異母弟にあたる初世市川幸蔵が11歳で外郎売を勤め、こちらも話題を集めました。
 近代に入ると、『外郎売』は一幕物として上演されるようになり、昭和55(1980)年に十二世團十郎(当時 十世市川海老蔵)が新たな台本で復活し、これが決定版となりました。
 このたびの襲名披露興行でも、八代目市川新之助初舞台の披露狂言として上演されたのは、ご存じのとおりです。


 人気絶頂にあった八世團十郎は、嘉永4(1851)年5月下旬、体調を崩しながらも舞台に出演し続けた無理がたたり、病に伏してしまいます。一時は重篤な病状となり、先走った訃報が流れるほどでした。
 しかし医師の治療と、團十郎家に所縁ある成田山新勝寺の不動明王の利益もあって、ほどなくして全快します。その全快祝いの宴の様子を描いたのが、続いてご紹介する作品です。

「八世市川團十郎全快祝宴の図」(はっせいいちかわだんじゅうろうぜんかいしゅくえんのず)

絵師:歌川国芳 寛政9(1797)年生~文久元(1861)年没
判型:大判錦絵3枚続
落款:一勇斎国芳画(芳桐印)
刊年:嘉永4(1851)年 「村松」「福」(名主印)
版元:丸屋清次郎


 病から回復した八世團十郎を中央に描き、これを取り囲むようにして父親の七世團十郎(当時 五世海老蔵)を始め、弟の初世市川あかん平(七男・のちの八世海老蔵)、初世市川幸蔵(六男)、初世市川猿蔵(四男)、七世市川高麗蔵(三男・のちの七世海老蔵)たちが居並びます。そのほかに門弟の二世市川九蔵(のちの六世市川團蔵)、四世市川小團次、初世市川眼助、初世幡谷七右衛門、そして八世團十郎と共演することの多かった女方の初世坂東しうかが描かれています。

 床の間には疫病除けの神である鍾馗を描いた掛軸が掛けられていますが、実はこの鍾馗が七世團十郎の似顔になっているうえに、手にする剣と縄、背負っている笠が、それぞれ降魔(ごうま)の剣、羂索(けんさく)、火炎光背になっており、鍾馗が不動明王見立てになっているところに、絵師の国芳の奇知がうかがわれます。
 さらに床の間には、伊勢海老が供えられているほか、嶋台には牡丹の花の飾り物が、寿の字を記した三つ組みの盃が乗る三方にも牡丹の模様が見え、市川家ゆかりあるものがこまごまと描き込まれています。

鍾馗の掛軸 拡大図

 また、それぞれの着物や帯の意匠は、家紋や替紋などをふまえたものになっています。例えば、八世團十郎の着物、帯には牡丹の文様が見えるほか、七世團十郎が着る浴衣には、“三筋”の立涌模様の中に、“海老”と“象”を描いた図案になっていますが、これは「市川海老蔵」の名跡をもとにした判じ物(はんじもの)文様です。そして市川猿蔵の着物の模様は、松皮菱(團十郎家の替紋の一つ)の中に猿を描いています。
 人気俳優の舞台や楽屋での様子のみならず、日常の姿も知りたいというファンの心理は今も昔も変わりなく、この作品のように日常の姿を描いた役者絵が数多く残されています。

役者絵からひも解く歌舞伎の世界

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