歌舞伎いろは

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歌舞伎座「壽 初春大歌舞伎」『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」
二代目白鸚さんのこと、お教えします

ようこそ歌舞伎へ 二代目松本白鸚

2月の由良之助と力弥は亡き父からの思いやり

 ――2月は『仮名手本忠臣蔵』「七段目 祇園一力茶屋の場」の由良之助をなさいます。子どもの力弥はお孫さんの八代目市川染五郎さんが演じられます。

 「四段目」に比べると、「七段目」の由良之助は、いい意味でのゆとり、心の豊かさがないとできない役です。色気というか、柔らかさが必要です。由良之助はお軽が勘平の女房とわかり、敵である九太夫を討たせてやり、兄の平右衛門を連判に加えます。まさに至れり尽くせりで、本当のリーダーはそこまで気配りができないといけないんですね。

 ――全段の由良之助のなかでも、「七段目」が一番難しいとおっしゃる方が多いようです。

 由良之助が『仮名手本忠臣蔵』に初めて登場する場面が「四段目」です。気が動転していながら、最後の門外では塩冶判官が切腹に用いた短刀の血をすすり、主君と血と血の交わりをします。ある意味で熱い血潮の由良之助でなくてはいけませんが、「七段目」はそれプラス、円熟さがないといけないと思います。

 ――大きさの必要な、理想のリーダー像ですね。

 演じる場合に心のよりどころとするのは、父です。父が何度目かの由良之助を歌舞伎座で演じたときに、ご覧になっていたご夫婦連れのお客様が、「由良之助はこんな人だったのかもしれないね」とおっしゃったんですよ。

 幸四郎(初世白鸚)の由良之助でもないし、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の由良之助でもない、そこには大星由良之助そのものが確かにいたんですね。

 そこまでお客様に感じさせる。役者の芸の域を脱して、役そのものになりきったということでしょうね。そうでないと「七段目」の由良之助として完成していないんじゃないかと考えます。

 ――昭和56(1981)年の三代襲名では、お父様の初世白鸚さんが由良之助、新幸四郎さんが力弥を演じられました。

 その同じ演目を孫とできるのは、亡き父の、私への思いやりと受け止めております。亡くなった後まで、親は子を心配してくれているのですね。ただ舞台の幕が開きましたら、息子も孫もございません。ただよい舞台をと、その一点だけです。

二代目松本白鸚 高麗屋!

二代目 松本白鸚さんをもっと知りたい!

二代目松本白鸚(まつもと はくおう)

生まれ 昭和17年8月19日、東京都生まれ。
家族 初代松本白鸚の長男。息子は染五郎改め十代目松本幸四郎。金太郎改め八代目市川染五郎は孫にあたる。弟は二代目中村吉右衛門。
初舞台 昭和21年5月東京劇場『助六由縁江戸桜』外郎売伜(ういろううりせがれ)昭吉で二代目松本金太郎を名のり初舞台。
襲名 昭和24年9月東京劇場『勧進帳』太刀持、『ひらかな盛衰記』「逆櫓」遠見樋口ほかで、六代目市川染五郎を襲名。同56年10・11月歌舞伎座『勧進帳』武蔵坊弁慶、『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」舎人松王丸、『熊谷陣屋』熊谷次郎直実、『助六曲輪江戸桜』花川戸助六実は曽我五郎ほかで、九代目松本幸四郎を襲名。平成30年1・2月歌舞伎座『寺子屋』松王丸、『仮名手本忠臣蔵』「七段目」大星由良之助ほかで二代目松本白鸚を襲名。
受賞 昭和40、42年テアトロン賞。54年度日本芸術院賞。平成5年サー・ジョン・ギールグッド賞、読売演劇大賞最優秀男優賞。10年眞山青果賞大賞、菊田一夫演劇賞大賞。15年第10回坪内逍遙大賞。17年紫綬褒章。21年日本芸術院会員。24年文化功労者、25年第30回早稲田大学芸術功労者ほか、受賞、受章多数。
この一年の舞台

平成29年

1月 「壽 初春大歌舞伎」(歌舞伎座)
『井伊大老』井伊直弼
3月 「三月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『引窓』南与兵衛後に南方十次兵衛
4月 「四月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『一谷嫩軍記』「熊谷陣屋」熊谷次郎直実
6月 「六月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『鎌倉三代記』佐々木高綱/『一本刀土俵入』駒形茂兵衛
11月 「吉例顔見世大歌舞伎」(歌舞伎座)
『大石最後の一日』大石内蔵助

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