役者絵からひも解く歌舞伎の世界 “十三代目市川團十郎白猿襲名にちなんで” その弐 役者絵からひも解く歌舞伎の世界 “十三代目市川團十郎白猿襲名にちなんで” その弐

 さて、このたびの十三代目市川團十郎白猿の襲名披露口上でも披露されている“にらみ”は、もともと江戸歌舞伎の年始の行事である“仕初式(しぞめしき)”で見ることができたものでした。この仕初式は、出勤俳優が舞台上にそろい、座頭が上演演目と配役を記した巻(まき)を読み上げ、座頭が市川團十郎家の俳優であるときに限って、読み上げのあとに“にらみ”を披露したと言われています。
 このしきたりを、明治18(1885)年1月新装なった千歳座(現在の明治座)の開場式の折に復活しましたが、その舞台に取材したのが、次の作品です。

「千歳座新舞台仕初図」(ちとせざしんぶたいしぞめのず)

絵師:四代目歌川国政 嘉永元(1848)年~大正9(1920)年
判型:大判錦絵3枚続
落款:梅堂国政筆(年玉印)
刊年:明治18年(1885)年 「明治十八年一月 御届」
版元:坂井金三郎


 画面中央に、巻の乗る三方を持って、“にらみ”を披露する九世團十郎、向かって右側には初世市川左團次、左側には五世尾上菊五郎と、明治の三名優であるいわゆる“團菊左”がそろい、そのほかにも四世中村芝翫や四世中村福助(のちの五世中村歌右衛門)と、明治時代の歌舞伎を彩った名優たちが一堂に会した豪華な舞台の様子を描いています。
 四世芝翫の右隣に座る子役の二世市川金太郎こそ、十三代目團十郎白猿の曽祖父にあたる、のちの七世松本幸四郎です。
 また芝翫の左隣の初世坂東竹松は、のちの十五世市村羽左衛門。さらにこの作品には描かれていませんが、子役として、初世市川ぼたん(のちの二世左團次)、初世尾上栄之助(のちの六世尾上梅幸)も列座していました。特に六世梅幸は千歳座の開場式が初舞台であったこともあり、往時の思い出をその芸談『梅の下風』などで振り返っています。

二世市川金太郎 拡大図

 仕初式の口上で“にらみ”を披露するという古式ゆかしい市川團十郎家の風習が、九世團十郎によって復活されたことにより、現代へと伝承されることとなりました。これもまた劇聖と謳われた九世團十郎の大きな功績の一つと言えるでしょう。

役者絵からひも解く歌舞伎の世界

バックナンバー