歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



『御浜御殿網豊卿』(※1)
真山青果の代表作である『元禄忠臣蔵』の一場。忠臣蔵に関する膨大な資料をもとにした考証の上に、作者の解釈を描き出した力作。
『盲長屋梅加賀鳶』(※2)
明治19年、東京千歳座で初演。文化初年に起こった加賀鳶と町火消しとの騒動を取り入れた世話物。
『船弁慶』(※3)
明治18年、東京新富座で初演。前半の端正な静御前の舞と、亡霊となった知盛の壮絶な引っ込みのコントラストがみどころ。
郡司正勝(※4)
歌舞伎研究家。『かぶき・様式と伝承』『かぶきの美学』など民俗学的考察を取り入れた論文や劇評を多数執筆。63年の四世鶴屋南北『桜姫東文章』の復活上演以来、旧作の演出も多く手がけた。
インプロビゼーション(※5)
Improvisation。音楽、特にジャズでは即興演奏のことを指す。
3階(※6)
歌舞伎座3階客席。
 

鍛錬と即興が生む芸にシビれて

 いとうせいこうさんは、カジュアルな出で立ちにディパックを背負って歌舞伎座にやって来ました。芝居を観るのは日常生活の一部、という気負わない空気を漂わせています。ご一緒に観劇したのは『御浜御殿網豊卿』(※1)、そして河竹黙阿弥の『盲長屋梅加賀鳶』(※2)と『船弁慶』(※3)です。

 チョン!開演を知らせる柝の音と同時にいとうさんは、すっと姿勢を正し大きく息を吸い込みました。
 大学時代から芸人としてステージに立っていたいとうさんが歌舞伎の面白さに出会ったのは、大学の近くにある劇場でした。

いとう「早稲田銅鑼魔館という小劇場があって、そこによく出入りしていたんです。ある時、郡司正勝さん(※4)が新作を上演するから手伝いをしないかと言われまして」

 新作の舞台で黒衣をしていた、いとうさん。歌舞伎の見方を変えた“ものすごいもの”を目の当たりにしたのは稽古の最中でした。

いとう「立ち廻りをする役者さん同士が『じゃ、私はこう振りかぶってこういきます』『じゃあ私はこう受けてこっちに』と言いながら、まるでパズルが出来上がっていくようにパパパパパって動きが出来上がっていくんですよ。僕はそれを見て、あぁ・・・ジャズみたいだなって思った」

富樫「インプロビゼーション(※5)みたいな感覚ですか?」

いとう「いや。きちんとコードもあるんだけど、インプロビゼーションもある。それが上手に決まってできるフレーズがかっこいいか、かっこよくないかを役者さん同士が分かってる。完全にジャズだなあと。自分の古典芸能観は間違ってたなと思って」

 ジャズみたいだ!と気づいた後は、歌舞伎がとても生き生きして見えるようになった。新鮮な気持ちで歌舞伎を見直してみたい、と劇場にますます通うようになったと言います。

富樫「学生だとやっぱり3階(※6)ですか?」

いとう「そうそう。もう花道なんて全然見えなかったけど、それが楽しかったな。いい席でなんて一度も観たことない。それがまたよかった」

 歌舞伎にはコードもあるし即興もある。それは劇場の空間、観客にも通じると言います。

いとう「歌舞伎の舞台って横に広いでしょ。普通の芝居と違って意識が密集しないじゃない。だから客は気楽に観られるんだよね。俳優を観ていてもいいし、横の襖がきれいだなって観ていてもいい。情報量の多さをバラバラに観て楽しめばいいんじゃないかって思いますね。そういう自由さを感じる」

富樫佳織の感客道

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