歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



下げ(※10)
落語におけるオチのこと。
 

江戸のオチ、現代のオチ

 テレビではバラエティー番組の名司会者として活躍するいとうせいこうさん。即興で繰り出されるするどいつっこみの達人に、伺ってみたいことがありました。

富樫「歌舞伎に限らず古典の作品には、今観ると尻切れトンボみたいなエンディングがありますよね?あれも“古典て難しい”と思わせる原因では?」

いとう「昔の人と今の人は感覚が違っちゃってるんだよね。僕らとオチの感覚が違うんだよ。例えば古典落語なんかの下げ(※10)でも『…なんとかでございます』って、雰囲気だけで終わってないじゃん!て思うこと多いでしょ」

富樫「えっ!そこで!みたいなね」

いとう「突飛なところで落ちているように見えるんだけど、ああいう感じがかつての物語の感じだったんだろうね」

富樫「それは、オチてるんですか?」

いとう「当時の人たちにしたらオチてるんだと思う(笑)。今、僕らは西洋的な物語を受け入れすぎちゃって起承転結に慣れているけど、本来日本の物語というのは、なんだかワケが分からないものだったんじゃないかな」

富樫「歌舞伎って、主のために自分の子供を殺し、泣いているところに偉い人が出て来て『あっぱれ!』とか不条理極まりないことも多いですよね」

いとう「今観ると不条理だけど、あれが当時の人にとってはベタだったんじゃないかな。そのベタが僕らには分からない。ベタってお約束だから、時代時代の」

富樫「じゃあ、いとうさんのコントも150年後には…」

いとう「オチてないかもしれない(笑)。なんだこれ、って言われてるかもしれないよね。西洋と合体しちゃったから、もう後はないのかもしれないけど」

 “古典芸能”という四文字には、格式が高い、教養的でハイソなものであるというイメージがあるのではないかと思います。だから違和感を笑い飛ばすのが怖い、とも。現代人が古典を観る時に逃れられない“違和感”とどうつき合っていけばいいのでしょうか。

いとう「おもしろいと思ったら笑っちゃっていいと思うんだよ、最初はね。やっぱりさ、人を感動させるものって違和感なんだよ。特に芝居は日常生活にはない奇天烈なものであって欲しいじゃない」

 日常繰り広げられているものならば、視点を変えて街に出れば感じることができる。だからこそ劇場は奇天烈なものを観たり感じたりできる空間として成立してきた。

いとう「そこが芸能として豊かなところだと思うんだよね。身構えずに、その豊かさを楽しめばいいんじゃないかな」

富樫佳織の感客道

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