歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



 

なにも起こらない場面に見る、芸の凄み

 石川 「歌舞伎には日本人ならばハッとさせられる美しさや心情といった、400年経っても変わらないエッセンスがたくさんありますが、中でも僕がすごいと思ったのは飯炊きの場面です」

 『伽羅先代萩』前半の見どころは「御殿」の場の飯炊き(ままたき)です。 鶴千代の暗殺を危惧する乳人政岡が、茶道の手前で御飯を炊くという趣向の面白さ。当時の作者が大奥らしさを演出するため考え出したと言われています。

石川 「20分ほどあった飯炊きの場面で、客席が水を打ったように静まり返っていましたよね。みんな一心に政岡の手元に見入っているんですよ。もちろん僕も吸い込まれるように茶道の所作を観ていました。オペラだったら歌手はステージで歌を披露するし、バレエならば目を奪われるような跳躍がありますが、あの場面はただただ飯炊きをしていて、演劇的にいわば“なにも起こらない”わけです。それで人を魅了する芸術は世界でも類を見ないと思います」

富樫 「台詞も一切ありませんよね」

石川 「そうなんです。20分間、劇場がシーンと静まり返っているんですよ!そういうエンターテイメントはおそらくないでしょ?しかも歌舞伎座のあの大きな舞台、空間が茶道の手前をしているだけでしっかりと満たされている。見終わった後、緊張感がほどけたような心地よい感覚と、とても密度の濃いものを見た充実感が残りました。それが歌舞伎の芸というものなんだなと感じました」

富樫 「歌舞伎には座ったままほとんど動かない主人公の圧倒的な存在感が眼目だったり、立っているだけで美しいことに感動する演目、瞬間がいくつもあります。言われてみればオペラやバレエ、西洋の演劇は常に動きがあり劇的な見せ場でつながっていく気がしますね」

石川 「なにもないところに芸の修練が見える、その修練が紡ぎ出す美しさに感動するのが日本人の美意識なのでしょうね。ただ、初めて観てあの場面に圧倒されたのは僕が今の年齢だからだと思います。世界中を旅して様々なものに触れた経験の蓄積があるからこそ、飯炊きの場面で感動できたんじゃないかな」

 石川さんは観劇を終えて、今の年齢で観てよかったとおっしゃっていました。人生の経験を重ね、教養と知識を堆積したからこそ歌舞伎の中に自由な楽しみを見出すことができるのだと。
 そしてもうひとつ。今回の観劇には思いがけないドラマがありました。石川さんの人生にはこの『伽羅先代萩』が脈々と流れ続けていたのです。

富樫佳織の感客道

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