歌舞伎いろは

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(※1)『真景累ヶ淵』
作者の円朝は「罪を犯した者がそのおびえから神経を病み、怪談を生むのだ」と述べ、『真景』の題名は“神経”にかけている。長編の因果物語から“豊志賀の死”だけを独立させた現行の台本は大正11年初演。

美術監督の企み…お化けがどこから出るかが怪談物の命

 「建替えになるんですよね。ちゃんとしたカメラを持ってくるべきでした」 劇場に入るなり種田さんは、しまった!という表情をなさいました。そして開演前のピンと張られた定式幕や、提灯が彩りを添える客席などをデジカメで撮影し始めます。さすが舞台美術家…と思わせる観劇のはじまりです。
 拝見した演目は『真景累ヶ淵』(※1)です。江戸時代、三遊亭円朝によって生み出された怪談が歌舞伎に脚色され初演されたのは明治31年。多数映画化もされ、最も近年の作は尾上菊之助さんが出演した『怪談』です。美術は種田さんが担当されました。

種田 「制作にあたって、50年代、60年代のモノクローム時代の映画をはじめ昔の怪談物をかなり観ました。中でも中川信夫監督の『怪談かさねが渕』は傑作で大変参考になりました。溝口健二監督版かさねが渕『狂恋の女師匠』も観たかったのですが、残念ながらフィルムが残っていないんです」

富樫 「歌舞伎で観たのは映画撮影以来初めてですか?」

種田 「そうです。観ていたら、こうする手もあったか!と気づかされるところがたくさんありました(笑)。『怪談』の制作前は1年ほど世界感を作り上げるためプランを練り続けたのですが、まだまだ自分の中で片がついていないところがあるんだなと実感しました。もう一度怪談物をやってみたい!」

富樫 「具体的にはどのようなところですか?」

種田 「玄関の格子の横に戸袋があるのを見て『あ!戸袋をつければよかったかも』と思いましたね。新吉が出ていった後、独りになった豊志賀が苦しみ出し息絶えるところもすごかった」

 若い内弟子と恋仲になった富本節の美しき女師匠・豊志賀は、その美しい顔に腫れ物ができ寝ついています。一幕目の終わり、豊志賀は苦しさを覚え水が欲しいと新吉を呼ぶものの出かけていて返事がありません。端整が売り物の女師匠は水を求めながら新吉をなじり、壮絶な形相となって最期を迎えます。

種田 「濡れ縁の手水鉢から水を飲もうとして、布団と濡れ縁の間にあった屏風に手を掛ける場面はよく考えられていますよね」

富樫 「屏風から、怖い形相がちらっと見えるのが怖いんですよね…」

種田 「その場面も『そうか、屏風を使ったらもっと面白かったな』と思いながら観ていました。舞台も映画も、怪談物は独特の劇空間を作ることが必要なんですよ。単純に言うと、どこからお化けが出てくるんだろうとドキドキさせる空間、美術を考えなくてはならないんです」

富樫 「なるほど!そこが大事なんですね」

種田 「ですからあの屏風は、屏風一枚で死角ができる、という日本の住空間をとらえた恐怖の演出ですよね」

富樫佳織の感客道

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