歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



富樫佳織の感客道  

第二回 茂木健一郎さん(後編)

歌舞伎はクオリアに満ちている

 茂木さんは、著書「脳と仮想」で2005年に小林秀雄賞を受賞。感情や感覚の質感である「クオリア」をキーワードにした脳と心の関係性を探る研究で注目され、テレビや雑誌などメディアへの出演でもすっかりおなじみです。

 学生時代から劇場に通い続け「歌舞伎愛」に満ちている茂木さん。前回は歌舞伎を観て味わうカタルシスが脳でいかに生み出されているかをお話いただき、新たな発見がたくさんありました。

 感劇の道探求は続きます。

 3月公演は『義経千本桜』の通し狂言です。2回目の幕間は売店を見て、喫茶店でお茶をしました。
「歌舞伎の幕間は長いからいろいろなことができて楽しいよね。売店で人形焼きを買って観ながら食べるのがすごく好き」

 実演販売の人形焼きは、歌舞伎座1階売店の人気商品。それがすぐに出てくるあたり、歌舞伎鑑賞歴の長さを感じます。

 昼の部最後の幕は『道行初音旅』。
定式幕が引かれると、舞台には吉野山の桜が溢れます。
書き割りに描かれた絵の桜、しかしその華やかさに思わずこぼれるため息が客席をふわりと包みます。

富樫「江戸の庶民にとって芝居小屋で観る吉野山は、現代だとテレビの旅番組のようだったのかなと思うんですけど…目の前にあるのは書き割りの舞台装置ですよね。それで満開の桜を観ている気分になるのはなぜなのですか?」

茂木「人の脳にはシンボルから感覚を統合できる能力があるんです。確かに見ているのは絵に描かれた吉野山なんだけど、人はそこに桜が咲き乱れる風景のクオリアを感じるんです」

富樫「なるほど。じゃあ花道の忠信の後ろに桟敷のお客様が見えているんだけど、それも見えていない気分になるのは?」

茂木「目の前の芝居を観ながら脳が編集作業をしているんです。演技に引き込まれると背景や周りがカットされるんですよね。歌舞伎は黒衣とかもいるのに無視するでしょ。観る側の感受性が求められる。あと優しさ!すごく高度な芸術なんですよね」

富樫「女方を観て本当の女性のように感じるのもクオリア?」

茂木「クオリアです」

富樫「歌舞伎にはクオリアが溢れているんですね。なんか大変なことになってますね!歌舞伎」

茂木「舞台装置や衣裳の、目に飛び込んでくる鮮やかな色はまさにクオリアですね。歌舞伎を観ると現代人として反省しなきゃいけないなといつも思います。原色がこれでもかと迫ってくるあの色遣いって、自分が元気でなければ圧倒されちゃって生きていけないでしょ。そこに『傾きもの』として生きる人間のエネルギーを感じます」

人形焼き
人形焼き
<クオリア>
私たちが普段意識する「感じ」のこと。
「リンゴの赤い色の感じ」「空の抜けるような青の感じ」「虫歯のズキズキする感じ」といった世界に対するあらゆる意識的な感覚そのものを指す。
この「人が何かを感じるプロセス」が脳科学や認知科学の分野で注目され、研究が進められている。

富樫佳織の感客道

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