歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



※「銀杏BOYZ」
2003年ボーカルの峯田和伸を中心に結成され、5月から本格的に活動を開始。アルバム「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」、「DOOR」など。ボーカルの峯田和伸は映画出演、執筆など幅広く活動している。
 

ギリギリ感、それは生命とクリエィティブの合体!?

 2007年6月のコクーン歌舞伎は、河竹黙阿弥作「三人吉三」。2003年以来の再演です。ほの暗い舞台の真ん中に水を張った巨大な盆をあしらった、演出・串田和美さんによるインパクトある美術。舞台全体を睡蓮の華を描いた額縁のような美術が象徴的に飾ります。

 「かっこいいですね」

 箭内さんは睡蓮が描かれた大道具を観て、一言つぶやきました。そうするうちに、三人吉三の幕が開きます。

 「三人吉三」は安政7年(1860年)に初演された河竹黙阿弥の作品。同じ“吉三”と名乗る3人の盗賊が妙な因果でからみ、不条理で救いのないそれぞれの人生を駆け抜け、やがて死にとらえられる。命絶え、降りしきる雪に埋もれるラストは今回、椎名林檎さんの歌声に包まれて幕となります。

箭内「実は…気づいてたかもしれませんが、最後泣きました。ラストで3人の役者さんが雪に埋もれながら一心不乱に走っている姿を観て、なにかすごいものを感じてしまって。やばい!って」

 3時間半という長い上演時間。ずっと舞台に集中していた箭内さんは最後、“どんな言葉も当てはまらない感覚”を受け取ったと言います。

箭内「無理矢理思い出すと、銀杏BOYZ(※注)のライブを観たときにすごく近い感じ。銀杏BOYZも今日の歌舞伎も自分にとっては、生きている中でギリギリみたいな場所まで行ってみた人たち、そういうことを見せてくれた人たち。それを突きつけられたショックというか」

 『三人吉三』は黙阿弥の代表作とも言われていますが、初演当初の評判は芳しくありませんでした。盗賊暮らしをする主人公、最下級の遊女、近親相姦。それは江戸の人たちにとって生々しすぎたのです。その救いもなく暗い話を中和したのが、最後の火の見櫓の場面の美しさ。「絶望」の後の「救い」。それが“ギリギリ”感を観客に与えるのでしょうか。

箭内「例えば銀杏BOYZの峯田君が歌う姿をライブで観ていると、自分が歌いたくなるわけじゃないし、その歌に特別な思い入れがあるわけでもないんだけど、なんか自分が肯定された気持ちになるんですよね。」

富樫「赦し、ですか」

箭内「ダメだったり、モヤモヤして悩んだり、億病だったりすることが、それでいいんだって気になる。今日の歌舞伎は、勘三郎さんたちの姿は、もっとそれがドスンと重くきました」

富樫「例えば普段“死ぬ”とか本気で意識しないじゃないですか。でも舞台の上の役者さんはあの場面である意味、本当に死んでいるんだと思う。だからギリギリな感じを受けるんですかね?」

箭内「ギリギリっていう言葉もどうなのかな、言葉がはまらないですよね。本気とか、気迫とか、それも何か足りない。生命とクリエイティブが合体したものなのかもしれない」

 ものを創っていく上で、自分もギリギリのところまで行ってみたいと思いながら生きている、という箭内さん。『三人吉三』を観て、自分は本当にギリギリを超えるところに行っているのか、行けなくてもその手前までは行ってみたいと、背中を押された気持ちになったと言います。

 その感想を伺って240年以上も上演されている作品に宿る力、その作品を生身の人間が演じるときに生まれる破壊的な力が歌舞伎にはあるのだと感じました。

富樫佳織の感客道

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