歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



   

河竹黙阿弥はどんなクリエイターだったんだろう?

 河竹黙阿弥は、江戸末期から明治にかけて多くの名作を生み出した狂言作者。その生涯に残した作品は360篇あまりと言われます。時代は変わって現代。数多くの広告を世に送り出している箭内さんに、黙阿弥はどんなクリエイターだったのか、思いを巡らせていただきました。

箭内「河竹(黙阿弥)さんのことを直接知らないのにこんなこと言うのもなんですが(笑)、考えないで作ってもなんとかなるってことを知ってたのかもしれないですね。」

富樫「自動的に書けたってことでしょうか?」

箭内「そうかも。どこか足りないところがあったとしても、観る人がそれをイマジネーションで補ってくれたり、演じる人がまたそこを爆発させてくれたりってことを知っていれば、そんなに時間をかけずにものって作っていっていいと思うんですよね」

富樫「逆に、書き続けなければ生きていけなかった人だったとか?」

箭内「むしろ『いっぱい書けるもん、俺』みたいな。(一同笑)わざといっぱい書いてたんじゃないかなって気もしますね。そういうものだ、っていうポジティブなあきらめとパワーを作品から感じました」

富樫「360本も書いていたら、その後240年間ずっと上演され続けるなんて河竹さんは考えなかったでしょうね」

箭内「もしかしたら不本意かもしれないですよね。でもそれがちょっと嬉しいかもっていう感覚も持ってたんじゃないでしょうかね。しかも、そのまま演るんじゃつまらないって感覚もこの人は知っていて、今日観たコクーン歌舞伎は制作者も俳優も、それが分かって演っている感じがしました」

富樫「箭内さんの作ったCMを200年後に全然違う人がそのまま作ったとしたら?」

箭内「僕が作った映像をタイミングとか台詞の言い方とか、文献を紐解いて再現されても面白くない。やっぱりクリエイティブは生き物なんです。演る人も生き物だし、観る人も生き物だし」

富樫「生きてるから変わって当たり前」

箭内「そこのハコ(劇場)とか芝居全体が生き物だという風に河竹さんは思っていたから、360本も書けたんだと思うんですよ。なんかすごいものを、永遠に残るすごいものを書くって思ったら、できなかったかもしれないですよね」

 と、河竹黙阿弥の作品が持つ力に押され、彼がどんなクリエイターだったのか想像は尽きません。作品を通して、現代のクリエイターと江戸のクリエイターが出会う。作品から受け取ったクリエイティブ魂が、時を超え自分にも伝染する。それが、箭内さんの感客道ではないかと感じました。

箭内「あとこのタイトル『三人吉三』。この字のシンメトリー性が気になりました。河竹さんはその当時から、おもしろいなって思ってたんじゃないのかな」

富樫佳織の感客道

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