歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



「表現」することへのジレンマ

 古典芸能との出会い。歴史と鍛錬の上に自由を纏った芸が醸し出す圧倒的な豊かさは、いとうせいこうさんの創作にどのような影響を与えたのでしょうか。

いとう「歌舞伎がフリージャズのように創られている、と感じた時、それまで自分もやっていた一般的な演劇の構成の仕方が貧しいんじゃないかと思ったのは確か。さらに影響を受けたのは郡司正勝先生と対談をした時の言葉なんだけど…」

富樫「それは?」

いとう「郡司先生は『表現、表現って、今の若い人は卑しいね』って、おっしゃった。それが僕の中ではものすごく大きい。言われて『表現は卑しい。そうかも!』って思っちゃったんだよね。以来僕はひとつのジレンマに陥っている。卑しくない表現って、なんなんだろうと。小説を書くのもやめた」

 郡司正勝さんからは、芸を観る上でも大きな影響を受けたとおっしゃいます。

いとう「例えば舞踊を観た時、『無心に踊っている役者がいて、スッと上げた右手が美しければそれだけでいい』ってことを郡司先生は言うんですよ。すごいことを言うなと思った。でもそれは舞台も、スポーツもジャズも、みんな同じ」

富樫「アドリブで見せていくもの」

いとう「舞台も、その一瞬一瞬を見せることに研ぎすまされていっていいんじゃないか。一瞬一瞬、ちょっとずつ違うという意識を強烈に持っていなければダメだろうというところに僕は行き着いちゃったんですよね」

富樫「テレビの司会をなさる時、その時しか見せられないものをいかに生み出すかが面白いとおっしゃいますよね」

いとう「みうらじゅんさんと今やっているスライドショー(※11)もそう。基本的になんの打ち合せもなく初見でスライドに映し出される写真につっこみを入れていくんですよ。そうやって僕は、卑しくない表現って何なんだ、という答えをずっと探求している」

 筋書きがない中で完全燃焼するところに、何かを見いだしたい。無心であること─。郡司正勝が説く美の領域を追求してみたい。そう、いとうさんはおっしゃいます。
 時代に寄り添いながらも決して媚びず、潔い。クリエイティブの源が「無」であるからこそ、新しいものが生まれ続ける。それはまさに歌舞伎が持たんとする魂であると思いました。

 
スライドショー(※11)
いとうせいこうとみうらじゅんによるユニット「ロックンロール・スライダーズ」によるトークショー。今年で10回目を迎え、東京を皮切りに名古屋、福岡、札幌、大阪と全国ツアー中。

富樫佳織の感客道

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