歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



「自己流園芸ベランダ派」(※12)
いとうせいこう著、毎日新聞社刊。他、編集長をしている園芸ライフスタイルマガジン「PLANTED」も季刊で出版中。
PLANTED #5
9月27日発売(毎日新聞社刊)
いとうせいこう責任編集
 

歌舞伎と園芸と猿の惑星

 いとうさんは数年前から義太夫節を習っています。他にも小唄、仏像鑑賞、園芸と、独自の美意識を持ち日本の歴史が育んできた文化と戯れています。昨年は植物を育て“観続ける”ことによる気づきを綴った本「自己流園芸ベランダ派」(※12)を出版。

富樫「若い頃からジジイなところに入っていってますよね」

いとう「全部ジジイ(笑)。でもこれが後から効くよ(笑)。50、60になったときブイブイいわせてやるの、同世代を。俺は20代から古典芸能と園芸と仏像やってるよって(一同笑)」

 「植物」と「観劇」。目の前で変容するものに比喩や物語性を与えながら観続ける。そのふたつには、共通点があるのでは。

いとう「二度目を観た時にどんな違いを見つけるか、それを面白がれるかってことだと思う。植物もさ、1年経てばまた同じことが観られるんだよ。枯れたものから芽が出て育って、あ、去年も観たって思うけど若干違う。同じ花や実なんだけど、ちょっと違う」

富樫「咲かないでヒョロヒョロでも愛おしい。そんな見方に郡司さんの言う、右手の上げ方ひとつに感動できればいいという哲学を感じましたが?」

いとう「咲いたほうがいいに決まってるんだけどさ(笑)。ただ植物の場合、常に無心だから(笑)、全体的にいいわけですよ。彼らは表現のために咲いているわけじゃないから。それを人間ができたらすごいよね。植物のように芸があるっていうのはさ、究極」

富樫「長い間何かを観続ける行為が、人生を豊かにしてくれるのは?」

いとう「歌舞伎の場合は役者さんが成長するのを観るのもあるし、自分自身が成長している、変化を感じるわけじゃない。同じものを観ることで違いが分かっていくのは素晴らしいことだよね」

 ここでまた、ものすごい異ジャンルでの見立てが。

いとう「歌舞伎だけじゃない。『猿の惑星』をティム・バートン監督が撮った時、あれは完全に古典芸能化した。先代と違う!って言われたらさぁ…」

富樫「團菊ジジイじゃなく、エイプジジイみたいな人がいて」

いとう「あの猿はちょっと違うんだよ、みたいなことが言えるわけだよ(一同笑)。スパイダーマンも座頭市も、二度目ができた時点で全て古典芸能。そういう中に歌舞伎もあるって思わないと狭くなっちゃうよね」

 深い呼吸をし舞台に集中するいとうさんの感劇姿に、感客も芸と同じ「無心」を極めることが大切だと感じました。自分を取り巻くこの世界と対峙するには、固定観念に縛られず自らが新鮮であり続けなければならない。

いとう「ジュリー・アンドリュースの『マイ・フェイバリット・シングス』をコルトレーンが演奏するのを聴くのと、白浪五人男を音羽屋と中村屋で観たっていうのは通じると思う。音楽も映画も歌舞伎もバージョン違い。人間はバージョン違いが面白いんだよ」

 感客道、ひとついただきました。

 

プロフィール

いとうせいこう

作家、クリエーターとして、活字/映像/舞台/音楽/新メディアなど、あらゆるジャンルに渡り幅広い表現活動を行っている。著書『自己流園芸ベランダ派』、CDアルバム『MESS/AGE』など作品多数あり。現在は園芸ライフスタイル・マガジン『PLANTED』(毎日新聞社)の編集長も務めている。古典芸能では国立劇場2000年8月特別公演『新しい伝統芸能-怪しの世界-』で野村 万作、萬斎親子共演による狂言「鏡冠者」の作を努め、現在も野村氏の公演で再演さ れている。近年は、浄瑠璃観劇のため大阪公演まで出向くほど傾倒している。

 

富樫佳織

放送作家。NHKで歌舞伎中継などの番組ディレクターを経て、放送作家に。

「世界一受けたい授業」「世界ふしぎ発見!」「世界遺産」などを手がける。中村勘三郎襲名を追ったドキュメンタリーの構成など、歌舞伎に関する番組も多数担当。

富樫佳織の感客道

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