歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



(※3)『十六夜清心』
安政6年(1859年)に江戸市村座で初演された河竹黙阿弥の作品。鎌倉極楽寺の所化である清心は、大磯の廓の遊女十六夜と深い仲になり寺を追放された。京へ上って修行をし直そうとする清心にひと目逢おうとやってきた十六夜は、身ごもっていることを明かし、ふたりは共に稲瀬川に身を投げる。

 

かよわい?したたか?歌舞伎の中の女性たち

富樫 「歌舞伎のお話は、時代物も世話物も男性が主人公の話が多いのですが、私はどうしても女性の登場人物に感情がいきがちです。和田さんはいかがですか?」

和田 「私は歌舞伎に登場する女性って、なんて多様性があるのだろうというところを楽しんでいます。例えば『伽羅先代萩』の政岡を見ると、屋敷勤めの女性の苦や芯の強さが伝わってくるでしょ。一方、働く女性ではなくとも『鎌倉三代記』の時姫のように自分の意志をしっかり持った女性もいますし」

富樫 「和田さんは関西でも長くお仕事をされていますが上方歌舞伎に登場する男女はいかがですか?私…どうも、あのナヨナヨした若旦那にしっかりものの遊女が惚れるという感覚に違和感があって」

和田 「『廓文章』とか?確かにあの伊左衛門はナヨナヨしているけど、そこがかわいいんじゃないですか」

富樫 「だいたい上方の心中物って、男の人は騙されたり大借金を作っているけど、彼女のほうは売れっ子遊女でバリバリ仕事もできるパターンですよね。何も心中しなくてもと思ってしまうのですが」

和田 「そんなに感情移入して見なくていいのよ!(笑)今日観た『十六夜清心』(※3)も添い遂げられない身分ゆえに身投げしますけど、そういう“ありえないこと”が起こるから芝居は面白いんじゃないですか」

富樫 「でも今日の『十六夜清心』も、身重の女の人に入水させなくても!とか思っちゃうんですよねぇ」

和田 「そういうことを気にしたり、心中しようと言われて断るのはリアル、現実ですけど、芝居にしたら面白くないですよ。そうなったらどちらかが殺されるしかないじゃない」

富樫 「『土曜ワイド劇場』みたいに(笑)」

和田 「そうです。でも私は、一見、情にもろく見える、男性と心中していく女性には凛とした強さがあると思います。身分制度や経済状況が今と違って自由ではなかった時代に、好きな人への想いを貫くというのは強いじゃないですか」

 和田さんのお話を聞いていると、男性中心の話が多い歌舞伎に登場する女性たちが輝きを増して感じられてきます。男性を支えたり、従ったりしているように見える女性たちも、きっと強い意志を持って生きていたのだと。

和田 「あと、関西の男性の気風でいうと、賢いけれどあえてバカなふりをするのがマナーというのが今もありますよ。人前に出たら場を盛り上げたり、笑わせたりできるのが賢い人」

そちらも、納得。

富樫佳織の感客道

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