歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



 

鑑賞者と一体となって完成する表現

黛 「私が俳句の世界に興味を持ったのは、明治から昭和にかけて生きた杉田久女という女流俳人の評伝との出会いがきっかけです。高級官吏の父を持つ教養深い女性で、兄の影響で俳句に出会いその道に没頭していくのですが、まだまだ女性が文化的に活躍するには風当たりの強い時代でした」

 女性だけの俳誌「花衣」を主宰するも廃刊の憂き目に遭い、同人に参加しては除名されるなど幾度となく表現の道を閉ざされた杉田久女。 彼女の代表的な句―「花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ」。

黛 「花衣というのは女性がお花見に出かけるために特別に誂える着物のことです。桜満開の春の夜、仕立てた美しい花衣を脱いでいくと、はらはらと畳の上に着物が落ち、帯が落ち、そして帯締めや伊達締めといった色とりどりの紐が落ちて行く美しい情景が目に浮かぶ句です」

富樫 「美しい情景ですね」

 久女の句にはわずかな言葉の中に、お花見に至るまでに着物を誂えに行くウキウキした感じや、桜の下で女性が花を愛でている光景、花見から帰ってきて花衣を脱ぐ名残惜しさといった長い時間が見事に凝縮されています。

黛 「はらはらと落ちる紐はただ美しいだけではありません。女性が社会で活躍することのできなかった時代、その紐というのは久女をがんじがらめに縛っていたものの象徴なんです」

富樫 「それを句に…」

黛 「久女の俳句に出会って、心の奥に悲しい思い、つらい気持ちがあっても徹底的に美しい言葉で紡ぎ出す表現に衝撃を受けました。その美意識、余白の深みに触れた時に、俳句というものをもっと知りたいと思ったんです」

 歌舞伎も同じです。「引窓」で、罪を犯した身内の姿を映し出す月の光。言葉や視覚表現では語られはしないけれど、その光と表裏一体の闇を私たち観客は感じ、人生で起こる理不尽や悲しみを重ねます。

黛 「俳句も、お芝居も、鑑賞している方が余白を読み取ってくださることでひとつの作品になるのだと思います。ある情景を切り取って紡いだ言葉にひとりの人間の人生や、苦悩、歴史といった奥行きを感じていただけたらという気持ちで句を詠んでいます」

 余白に託された想いを察することは、人の想いを察すること。
黛さんのお話を伺ううちに、鑑賞者に必要なのは人の心情を理解する豊かな気持ちを育むことなのだと気づきました。

富樫佳織の感客道

バックナンバー