歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



『表参道のヤッコさん』
高橋靖子さんのスタイリストとしてのこれまでの仕事や、活躍しながら見つめてきた原宿、表参道を駆け抜ける人々のエピソードを綴ったエッセイ。デヴィット・ボウイや山本寛斎さんと手がけた仕事の貴重な舞台裏も描かれている。(アスペクト刊)

 

歌舞伎のファッションが持つエネルギー

富樫「歴史の本とかで見る絵巻物って、くすんだ色のイメージが強いんです。自分は。でも歌舞伎の舞台を見ると鮮やかでビックリしますよね」

高橋「元気がよい!のよね。色が」

富樫「特に『白浪五人男』は場面ごとに衣裳が全部かっこよくて、しかも衣裳チェンジが多いのも楽しい(笑)。ただ、スタイリストさんが当然いない時代、誰が考えたのかなぁと思います」

高橋「そういう名称はなかったかもしれないけど、江戸時代にはクリエイターがいっぱいいたんだと思います。素晴らしい浮世絵もたくさん残っているじゃない」

 『白浪五人男』の中でも人気のある場面が『雪の下浜松屋の場』です。女装の盗賊・弁天小僧が商家のお嬢様のふりをして呉服屋を訪ね、わざと万引きの疑いをかけられた後にゆすりたかりをする場面。弁天小僧のモデルには諸説あり、三世歌川豊国の役者絵とも、黙阿弥が見かけた女装の男をそのままモデルにしたとも言われています。

高橋「吉原に迷い込んだ男性は、ああいう女性の長襦袢をひっかけていたりしたんでしょうね。永井荷風も浅草で遊んでいて、女性の洋服を肩からひっかけていたという話も残っているし。あるのよ、女性の服を着るというのは」

富樫「女装とまではいかなくても、男が女の服を着て醸し出されるよさってありますよね」

高橋「例えば忌野清志郎さんの初期はそうよね。今のように衣裳をわざわざ誂えたりしないで、三愛とかスズヤで買った女の子の服を着ていたんですよ。あれが良かった」

富樫「分かる!」

高橋「彼が自分で選ぶスタイルって、私たちプロとは全く違うんです。今でも浅草の帯屋さんで敢えて洋服を仕立ててみたり、すごくカッコいいスーツを着てて、近づくと木綿だったりするの」

富樫「浅草!やっぱりそのセンスなんですね。清志郎さんの存在そのものが…なんというか歌舞伎ですよね」

高橋「そうよね」

富樫「ヤッコさんの著書を読んでいると、70年代のファッションをとりまく人たちの話と、歌舞伎に共通点を感じるんですよね。ワクワクする感じが」

高橋「例えば70年代の原宿って、ストリートの人たちが切磋琢磨してファッションを磨いていたでしょ?ここの喫茶店に行けばこういう人たちがいて、こういうファッションをしているみたいな。歌舞伎の劇場も江戸時代そういう流行の発信地だったんだと思います。時代が違っても、そういう場所はあるんです。今もそう」

 スタイリストになりたての頃は、ひとつのものを探すにも今の10倍は時間と労力がかかったと高橋靖子さんはおっしゃいます。それでもクオリティの高いものを作ろうというエネルギーが背中を押していたと。原宿カルチャーと、江戸カルチャーは根底でつながっている。そこにはものを創りあげる楽しさと、勢いが生きているのだと感じました。

富樫佳織の感客道

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