歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



(※1)『女暫』
歌舞伎十八番のひとつ『暫』を女方が勤めるという趣向で生まれ、天明6年(1786年)に名女方の三世瀬川菊之丞が勤めたものが源流となった。幕末に一度上演が途絶えたが、明治34年に五世中村歌右衛門が復活させ好評を博した。

 

面白い!ことをとことん追求した芝居

 一幕目の芝居は『女暫』(※1)です。
その名の通り歌舞伎十八番のひとつ『暫』を女方が勤めるという趣向。始まりは延享3年(1746年)に遡ると言われ、1786年に名女方の三世瀬川菊之丞が勤めたものが現在上演されているものの源流となっています。

伊藤「僕の勝手な想像ですが、本来男性が主役のものを女性に書き変えたというところに歌舞伎の精神というかありかたを感じます」

富樫「人気のある人、華のある人をどんどん出してしまえ!という感じでしょうか」

伊藤「今日観て思ったのは歌舞伎って『面白い!』と感じることを一番大切にして発展してきた芸能なんですよね。きっと」

富樫「その勢いは常に伝わってきますよね」

伊藤「立役の演目だけれど、ある日『ねえ、これ女方で演ってみたら?』って誰かがきっと考えついたんでしょうね。まわりも定型だとか手間だとかより『確かにそれ面白い!』ということが一番大事だからこういう芝居ができたのだと思いますよ」

 そう言われてみると、歌舞伎は『面白い』ことを常に最優先にし進化しているように感じます。その片鱗を伊藤さんは舞台のそこここに見つけたようです。

伊藤「登場人物やストーリーはもちろん、歌舞伎って舞台の構造がまず面白いですよね」

富樫「というと?」

伊藤「『女暫』だと、まず高い場所の真ん中に悪者の顔をした偉そうな人が座っていて、その人がなんだか力を持っていそうだと分かる。その左右に悪役顔の人たちがシンメトリーで並んでいるから手下だと分かる。一目見ただけで、この芝居は悪い人が幅をきかせていて、下にいる上品な人たちが困ったことになっているんだとすぐ分かる。すごいですよね」

富樫「十八番はまさに歌舞伎らしさが詰まっていますから、隈取りも分かりやすくて派手で面白いですよね」

伊藤「ものすごーく気になったのが、天下を狙う範頼(悪の権現風)の下手側に座っていた人たちの顔。真っ赤に塗った上に隈取りでしょ。悪い人は悪い人とすぐ分かるようにしているのが現代劇と全然違いますよね。現代劇は悪い人もいい人も同じ顔をしている。それがリアリズムだから」

富樫「どうしてああいう感じになっていったんでしょうね。もちろん様式美や日本古来の信仰などルーツは様々あるのですが」

伊藤「歴史や伝統、人間の心をふまえつつやっぱり『これやったら面白い!』というのを追求し続けた結果ではないかという気がしました。役者やスタッフが『顔を赤くしたほうが強そうじゃない?』とか『刀を巨大にしたほうが面白いんじゃない?』と盛り上がって作ったんだろうなというワクワク感が伝わってきます」

 面白いものを大の大人が追求するというのは、伊藤さんと私が仕事をするテレビ番組の世界にも通じます。伊藤さんは歌舞伎の舞台に、今のテレビバラエティーにも生きるエンターテイメントの構造を見つけました。

富樫佳織の感客道

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