歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



(※2)『三人連獅子』
『楳茂都(流)連獅子』とも称され、上方舞の楳茂都流の振付による舞踊。親獅子、子獅子に加え母獅子の三人で踊り、子供を厳しく育て上げるため厳しい選択をする父の気持ちと母の優しい気持ちが表現されている。

(※3)『らくだ』
昭和三年、落語の『らくだ』を岡鬼太郎の手によって劇化し、東京・本郷座で初演された。死んだ友人を弔うための金を調達しようと策を練る無頼漢の遊び人・半次と正直で小心者の久六とのやりとりが見所で大きな笑いを誘う。

 

バックストーリーを育てれば芝居は断然おもしろい!

富樫「歌舞伎の舞台にバラエティー番組と通じるところは他にありましたか?」

伊藤「『女暫』は芝居の構造自体がもう、今のバラエティーと同じ!と思いましたね」

富樫「構造が?例えば?」

伊藤「出演している人たちの役割や上下関係が観る側もある程度分かっていて、それによって座る位置が決まっているでしょ。最近のバラエテイーも出演者の方々が今日の芝居みたいにひな壇に座ってトークをするじゃないですか」

富樫「そうか!あの大道具は確かにひな壇ですね!」

伊藤「テレビ番組も歌舞伎もベテラン出演者、新人、きれいどころがいて、お笑い芸人はちゃんと笑いをとらなきゃいけないと役割がはっきりしているのも一緒ですよね。歌舞伎はその役割がより分かりやすいエンターテイメントなんですよね」

 二幕目は明治41年に花柳界の温習会のため振付けられた長唄の舞踊『三人連獅子』(※2)、三幕目は落語を劇化した『らくだ』(※3)です。伊藤さんはこのふたつの演目でさらに、歌舞伎を楽しむツボを発見しました。

伊藤「舞踊では子獅子で橋之助さんの長男が頑張っていたし、『らくだ』ではものすごく年配の俳優さんがいい味を出してましたよね」

富樫「俳優さんの幅が本当に広くて家族みたい…家族なんですけど、基本」

伊藤「歌舞伎の家に生まれた子供は歳をとるまでずっと舞台に出続けるわけでしょ。それを観客も『ああ、大きくなったなぁ』とか『まだお元気なんだなぁ』とか思って観るわけですよね。これはずっと観続けたら相当面白くなってきますよ」

富樫「不思議ですよね。芝居を観ていながら、出演している俳優さんの“素”の部分にも心が動かされるというのは」

伊藤「そこもある意味今のテレビに似ていると言えますよね。例えば『笑っていいとも!』という番組は毎日必ずやっていて、出演するゲストを観て『この俳優さん最近こうなんだ』と確認する楽しさがあるでしょ」

富樫「『笑っていいとも!』は毎日内容が違いますけど、歌舞伎は同じ芝居を生涯に渡って何度も、多い人だと月に何度か観ることがありますよね」

伊藤「同じものを何度も観られるというのはすごいことなんですよ!例えば『F1』ってあるでしょ?ただ車が走っているだけで何が楽しいのと言う人もいますよね」

富樫「そうですね」

伊藤「でもあれは観れば観るほど『マクラーレンのエンジニアがこのエンジンを作るのにどれだけ苦労したか』とかバックストーリーが自分の中に堆積していくから、グっときて感動しちゃったりするわけですよ」

富樫(爆笑)

伊藤「『何年前のレースではここでセナがこういう切り返しをしてね』とか…思い出しちゃって重ねたりして」

富樫「歌舞伎を長く観ている観客と一緒じゃないですか!(笑)」

伊藤「そうなんですよ。歌舞伎もF1も、バックストーリーを知っているから同じものを何度観ても面白い。それどころか観れば観るほど『この前とここが違う』『今日はこの役者さんこうだった』という芝居のストーリーではないもうひとつの、目の前の役者と観ている観客自身のストーリーが濃くなっていくから面白くなるんでしょうね」

富樫「なるほど…深い」

伊藤「ただ単に舞台を観ているだけじゃない。歌舞伎という舞台を通して、自分が生きてきた年月や、その間に体験した物事や感じ方の違いを発見して驚いたり、自分自身の人生を見る瞬間があるんですよね」

富樫佳織の感客道

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