歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



(※1)『御浜御殿綱豊卿』
『元禄忠臣蔵』の中でもとりわけ人気が高く上演回数も多い作品。徳川綱豊(後の六代将軍家宣)を主人公に据え、新井勘解由や富森助右衛門との対話を軸に、浅野家再興と仇討ちとの挟間をめぐる人々の葛藤を描いて行く。

(※2)「御浜御殿能舞台の背面の場」
能舞台で『望月』を舞う吉良が舞台へ向おうとするところに助右衛門が槍で襲いかかる場面。吉良に扮し能装束を纏っていたのは綱豊で、助右衛門はあわてふためく。助右衛門を叱る綱豊の台詞は観客を魅了する説得力を持ち一番の聞かせどころ、さらに能舞台へ向かう幕切れの綱豊は美しく凛々しい。

 

型を守る、型をはずす気持ち良さ

 今回拝見したのは真山青果の『元禄忠臣蔵』です。昭和のはじめに7年の歳月をかけて書き下ろされた新歌舞伎の傑作。元禄14年の江戸城松の廊下における刃傷沙汰に始まり、浅野内匠頭切腹、赤穂浪士討ち入り後までを描いた壮大な人間ドラマに、小島さんも私も、時間を追うごとにどんどん引き込まれていきました。

小島 「かっこいい!かっこよかったですね」

富樫 「私もそう思いました!実はこの芝居、男のドラマだし、武士道だし、ちょっと自分には難しいかなとヒヤヒヤしていたんですけど(笑)」

小島 「台詞がとても分かりやすいので物語の流れにすぐ入れたのもよかったし、分かりやすさの中に、やっぱり歌舞伎っぽいかっこよさがあるんですよね。『型』と言われるものなんでしょうか…。現代劇のように心情描写が続いたかと思うと、あるところで動きや台詞が決まるところがあるという…」

富樫 「決まるところは止まっているのに、話や感情は動いているという不思議な感じでしたよね」

小島 「例えば泣いている芝居でも、俳優さんを観ていると肩の動きや声で“泣く”という芝居の型を表現しているんですよね。けれども、観ている私たちの心には悲しみや無念さ、型を超えた感情がぐーっと迫ってくる感じとか…」

富樫 「小島さんが演じられるお芝居には型がないですよね。違いは何なんでしょう?」

小島 「今日お芝居を観て発見したのは、型があってもなくても人間の心情を表現するということは同じだということです。例えば『御浜御殿綱豊卿』(※1)の後半で綱豊卿と助右衛門のやりとりがありますよね。型としての台詞のやりとりが続いて緊迫した中に、ふっと俳優さん同士で息を抜く瞬間がすごいなと思いました。型を守るのと、離れるのとの連続がとても気持ちよいんですよね」

富樫 「その気持ち良さは、まさに“型”ですよね! そう考えると最後、綱豊が能舞台に行くところ(※2)で助右衛門が吉良と間違えて襲いかかる場面。あのやりとりも“型”の妙ですよね」

小島 「本当にあの場面はかっこよかったです。舞台上の俳優さんの呼吸がどんどん合っていくのにつれて自分もどんどん引き込まれて…」

富樫 「冷静に考えると、頭に鈴がついている能の装束ですよ。それであのシリアスな台詞を言って違和感がないなんて…」

小島 「しかもセリフの間は鈴が鳴らなかったでしょ?体が動いてないんですよ」

富樫 「え?!」

小島 「下半身の支えがとてもしっかりしているんですよ。上半身が動かないから鈴が鳴らないんです。俳優さんの鍛え抜かれた芸にも感動しました」

富樫 「小島さんもすごい。さすが観るところ違うんですね」

富樫佳織の感客道

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