歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



解らないから、分かること

 初めて観た人にも、全てのシーン、動き、台詞の「意味」を分かって欲しい。どうしたら伝わるか、自分の中で闘いの連続だった。串田さんは、歌舞伎を演出する時の課題について著作『串田戯場』(※4)で語っています。400年の伝統を持つ“古典芸能”に向き合って感じたこととは─

串田「僕はいつもやりながら、自分でできることはこれしかない、でも全部じゃない、歌舞伎の全部なんかを自分はぜんぜん演出してないと思う。筋が解るようにしようと努力しているけど、実は芝居って、なんだか解らないけど役者がすーっと歩いているだけで鳥肌がたって泣いちゃうかもしれない、それでいいかもしれない」

 知れば知るほど歌舞伎は奥が深い。長い時間によって研ぎすまされた型は自分の演出では創り上げられないと感じる。だから逆に『もっとこうしたい』という欲求が生まれるのだと言います。

串田「通常、明るくして演じているシーンを観ると『暗くしてみせたら神秘的になるんじゃないか』と思いついたり。『だったら蝋燭使ってみよう!』とかね」

富樫「シアターコクーンから始まって、2005年8月には歌舞伎座の公演で演出もなさいました。歌舞伎座はどうでしたか?」

串田「舞台が横に広いから、不思議な感じがしましたね。現代劇と違って客席が明るいのが僕は好き。お客さんの顔が見えて、対話してる感じが。劇場で視界にいろいろなものが入るのはいいんですよ。集中する気分と、ちょっと散漫になる気分が突然くるのが芝居の面白さだと思う」

 2005年の歌舞伎座での公演で、串田さんは今までにない経験をなさったと言います。それはある意味、とっても「歌舞伎らしい」こと。

串田「『法界坊』(※5)だったんだけど、上演に向けて僕、法界坊の人形を手作りしたんですよ。そしたらそれが、二階にあるガラスケースに飾られてたの!」

富樫「見ました。『演出・串田和美による』って書かれてましたよね(笑)」

串田「歌舞伎座って“殿堂”でしょ?その殿堂感とエンターテイメント空間とがないまぜになった空気を感じた(笑)。僕が作った人形の横で写真を撮っているお客さんがいてね。いいのかな…って」

 さらに串田さんを驚かせた出来事も。

串田「そのうち人形が置かれたガラスの前に、1円玉とか10円玉とかがお賽銭みたいに置いてあったりしてね(笑)。なんで人ってこうしちゃうのかな…、解らない。だから、人って面白いよね」

 人が何かに出会い、感じることはひとつではない。心の中には何層もの記憶と感受性があり、意識すらしていなかったことを突然思い出して驚くことがある。芝居を観ながらなぜか、死んだおじいちゃんのことを思い出したり、幼い頃に虫を殺したことを思い出して恐怖を感じたっていいと串田さんは言います。

串田「創る時もそういうふうでありたいし、そういうふうに観てくれたらいいなっていうのが理想です」

 
『串田戯場?歌舞伎を演出する』(※4)
串田和美さんがコクーン歌舞伎の始まりから現在までの舞台裏や演出家としての葛藤、歌舞伎への想いを綴った著書。ブロンズ新社刊。
『隅田川続俤法界坊』(※5) 天明4年(1784年)4月、大坂の角の芝居で初演。色欲、物欲の塊である破戒坊主・法界坊のユニークな人物像と、後半の男女が合体した霊となって踊る「双面」の場面がみどころ。

富樫佳織の感客道

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