歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



 

日常の中に、非日常がある意味

富樫「先ほど現代美術は“型”を外れるところから始まるというお話を伺いましたが、歌舞伎の語源は“傾く(かぶく)”、奇天烈なことをする人たちを真似て舞台に取り入れていった“型やぶり”の精神があります」

川俣「芸が熟成していく過程で、必然だったのでしょうね。現代は日常の中に奇天烈な人がたくさんいるし、街に出たりテレビをつければ刺激的なものが溢れています。でも江戸時代の日常は今よりもっと質素だったと思うんですよ。そんな中で歌舞伎は俳優が大見得を切るし、大道具は色彩豊かできれいだし、非日常を楽しみに来る場所だったんでしょうね」

富樫「江戸時代からすでに非日常だった世界を、現代の私たちが変わらず楽しんでいるという感覚はまた不思議ですよね」

川俣「人間が共通して持つ感情を揺さぶるものが芝居の中にあるから時代が変わっても楽しめるのでしょう。今日観て思ったのは、江戸時代には歌舞伎を見る意味が生活の中にあったのかもしれないということかな」

富樫「観る意味、ですか」

川俣「例えば今日はイライラすることがあったから、明日は歌舞伎を観に行ってスカっとしようとか。一日時間があって、だらだらと楽しみたいから劇場に行こうとか。芝居小屋があって毎日そこで芝居がかかっているのが江戸の人々の生活に入っていたのかもしれませんね」

富樫「そうか!そういう感覚だったのかもしれないですね。それは劇場だけでなく美術館に抱く感覚に近いかもしれません。今日は半日美術館で過ごそうかなと決めてふらりと行くと、偶然出会った作品で自分の何かが劇的に変わったり…」

川俣「興行というものは、本来そういうことなのかもしれませんね」

 

 川俣さんは歌舞伎を感劇した感覚を、現代オペラ『アインシュタイン・オン・ザ・ビーチ』をご覧になった時に重ねて語ってくださいました。1976年にアメリカで初演されたこの作品は、当時の音楽、ビジュアル、ダンスなど様々なアバンギャルドを集大成したパフォーマンスで世界的に話題となりました。

川俣「上演中ずっと後方で黒衣が舞台装置を転換していて、これは日本の歌舞伎だなと思った記憶があります。音楽が生歌でシンガーの呼吸音まで観客に聴こえてきたり、客席もざわざわしていて観客が出たり入ったり。その感覚を思い出しましたね。すごく現代的なパフォーマンスに通じるものが江戸時代に生まれた歌舞伎にあることに気づいたのも大きな発見でした」

 歌舞伎誕生まで遡れば400年以上という長い間、芝居小屋は多くの人が行き交う空間であり続けています。どんなに毎日が刺激的でも、人は非日常に焦がれる時がある。日常の隣にある「非日常空間」で型に身を委ねて楽しむのもよし、好きな作品だけを観るのもよし、“脱力系”の感客でいられるのは歌舞伎の懐がそれだけ深いからだと思いました。そして、現代美術も。沸き上がる感情と向き合うことが「感客道」であると川俣さんとのお話から発見しました。

 

プロフィール

川俣正

 1953年生まれ。東京藝術大学在学中から数々の個展、グループ展を行う。1982年ベニス・ビエンナーレ参加後、ニューヨークに滞在、ニューヨークを始めカナダ、ブラジル、オランダ、スペインなど国内外の公共スペースに巨大な作品を制作し続け話題となる。2000年日本文化芸術振興賞受賞。1999年から6年間、東京藝術大学美術学部先端芸術表現科の教授を勤めた後、現在はパリ国立高等美術学校の教授であり海外で最もよく知られている日本人アーティストである。現在、東京都現代美術館で30年間の足跡をたどる展覧会『通路』(~4月13日まで)を開催中。

 

富樫佳織

放送作家。NHKで歌舞伎中継などの番組ディレクターを経て、放送作家に。

「世界一受けたい授業」「世界ふしぎ発見!」「世界遺産」などを手がける。中村勘三郎襲名を追ったドキュメンタリーの構成など、歌舞伎に関する番組も多数担当。

富樫佳織の感客道

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