歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



s

『告白』
明治26年に大阪府の赤坂水分村で起こった殺人事件から構想した長編小説。プライドと劣等感、自己正当化と罪悪感といった相反する様々な感情に翻弄され生きる主人公の描写は圧巻。町田節とも言われる独特な文章と世界は、読み始めたら中断できない陶酔感を与えてくれます。2005年谷崎潤一郎賞を受賞。
今年2月に文庫化され発売(中央公論新社刊)。

 

長く残るもの。それは人の心を動かすもの

 町田康さんの小説を読む時、書き出しの数行で私はいつも雷に打たれたような衝撃を受けます。その数行を読んでしまったらもう最後、どこか知らない世界へと連れ去られるような感覚を憶えるのです。此処ではない何処か。でもどこなのか分からない、独自の世界観を紡ぎ出す町田さんが、歌舞伎に宿る時空感覚をどうとらえたのか聞いてみました。

町田「おもしろいなと思ったのは口上です。今の私たちが文章や小説で読んでて知っている言葉が実際に人間の口から発音されるとこうなるんだ、という発見がありました。今、実際にああいう口調でしゃべる人はいませんから」

富樫「いません」

町田「エレベーターの前で人に会って『皆々様には今日もご機嫌よろしく(※口上の口調で)』とか」

富樫「言いませんね(笑)」

町田「絶対言わないんですけど、じゃあ今の自分たちとかけ離れているかと言えば決してそうではないんです。本で読んで知っている例えば『恐悦至極にございます』という言葉を、ああやって舞台上で発声するのを観ると、ああ、昔の人はこういう話し方をしていたんだなって思うし、和服を着ていた人はこういう動き方をしていたのかと手に取るように分かるのは新鮮ですよね」

富樫「物語のありかたでいうとどうなんでしょう。歌舞伎では政変や心中など実際に起こった事件を下敷きにした芝居を『世界がある』というように言います。逆に実際に起こった事件がないものを描いた作品は『世界がない』と言われたりもします」

町田「小説業界でいうと歌舞伎で“世界”と表現されているのは“モデル”というものかもしれませんね。ただ、歌舞伎で実際の事件を下敷きにしていない作家の作品も世界がないわけではないと思います。どの時代の誰を主人公にすると決めた時点で、そこにはその作者の“世界”が存在しているわけですから」

富樫「なるほど。町田さんがお書きになった『告白』(※)は河内十人斬りという事件から構想なさったということなので、“世界”というものを意識したのかなと思って質問してみたのですが」

町田「実際に明治時代に起きた河内十人斬りという事件は新聞でも数十行でしか報じられていないものですから、小説は私の“世界”で書いた創作です。そこはモデル小説と言われるものとは全く違います。歌舞伎で“世界がない”と言われる作家の作品に近いのかもしれません」

富樫「今回、歌舞伎の劇場で過ごしていただいて400年以上も前に書かれた作品を現代人が観ているのをどう感じられましたか?」

町田「やはり古典が残っているひとつの理由は、人が共感できるストーリーがあるからだと思います。『熊谷陣屋』で熊谷直実が忠義のために自分の子供を殺してしまうという話には、昔の人も今の人も猛烈に嘆き悲しむわけです。『そんなはずないでしょ』と観ている人に思われてしまうストーリーだったら、一時ウケたとしても長くは残らないわけですよ。情緒的に気持ちがいい、という感覚があるんですよね。古典が残っているのは、知っている話を観る音楽のような気持ちよさとは別に、感情に共感する気持ちよさがあるからでしょう」

 解る解らないということよりも、人間の感情に沿ってなめらかに進んでいく気持ちの進行が理解できれば歌舞伎は楽しめる。町田さんとの感劇を通して、もしかして歌舞伎を観ることは自分の感情の揺れを測るリトマス試験紙のようなものかもしれないと感じました。『熊谷陣屋』に泣けなくなったら自分を疑え!とか…。小説を読むのも、音楽を聴くのも同じ、自分自身の感情と向き合うために、劇場に通い続けようと決意を新たにしました。

 

プロフィール

町田康

 作家、ミュージシャン。高校時代より町田町蔵の名前で音楽活動を始める。97年に処女小説『くっすん大黒』で野間文芸新人賞受賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。2000年には『きれぎれ』で芥川賞を受賞する。以来、詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、小説『権現の踊り子』で川端康成文学賞など数々の文学賞を受賞。小説・詩のみならず愛猫との生活を綴ったエッセイ『猫にかまけて』等、その作品は幅広い層の読者に支持されている。
公式サイト:http://www.machidakou.com/

 『身の毛がよだつほど嘘が嫌い』な町田さんの新刊は、世の中で唯一信じられる現実事実を撮影した写真を集め、意味を“緻密に調査”し“解説をした”『フォトグラフール』(講談社刊)。前書きは、魏仁元年一月一日に記されている。


 

富樫佳織

放送作家。NHKで歌舞伎中継などの番組ディレクターを経て、放送作家に。

「世界一受けたい授業」「世界ふしぎ発見!」「世界遺産」などを手がける。中村勘三郎襲名を追ったドキュメンタリーの構成など、歌舞伎に関する番組も多数担当。

富樫佳織の感客道

バックナンバー