大名火消
江戸開府当初、徳川幕府は、火事が発生すると、参勤交代で当主が江戸に在留中の大名家に奉書(公式文書)を出して召集し、鎮火に当たらせました。これを≪奉書火消(ほうしょびけし)≫といいます。
しかし、寛永18年(1641年)の桶町火事ではこの体制では間に合わず大火となってしまったため、幕府は六万石以下の大名十六家に命じて石高に応じて人足を常駐させ、持ち場を決めて消火防火に努めることとさせました。これが≪大名火消(だいみょうびけし)≫です。大名火消が出動するときは、物々しい火事装束に身を固め騎乗した武士に引き連れられた家来、人足たちが整然と火事場に急行しました。
このほかに≪各自火消(かくじびけし)≫と呼ばれるものがありました。幕府は天和元年(1681年)、尾張・水戸・紀州の徳川御三家と加賀藩に火消活動を許可したのを手始めに、各大名の私設消防団をもって近隣の鎮火に当たらせました。大名の私設の火消であるので≪各自火消≫というのですが、こちらも俗に≪大名火消≫と言われることが多いようです。『盲長屋梅加賀鳶』に出てくる≪加賀鳶≫は、そのように加賀藩で独自に抱えていた火消です。
この加賀鳶、威勢のいいことを誇る火消のなかでも、ことにその勇ましさ、かっこよさで有名でした。というのも、現在東大で有名な赤門は、加賀藩に十一代将軍徳川家斉の娘、溶姫(やすひめ)が嫁入りしたときに慣例に従い造った御守殿門(奥御殿の門)ですが、御守殿門は消失すると再建することは許されないことになっていたので、消防に一層気合を入れたとか。
また、国許で暇をもてあましている武家の二男三男を、軍事訓練の意味合いもかねて江戸屋敷の火消に組み込みました。また装束は、大大名の面子を掛けて費用を惜しまず注ぎ込んだそうで、威勢のよくなるのも道理と思われます。(み)
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