大薩摩節 その4
おおざつまぶし その4
やがて時代の趨勢とともに、古風な大薩摩節の出演は徐々に減少していきます。その原因としては、豊後系の浄瑠璃である常磐津節、富本節が隆盛期を迎えたことや、長唄に名手が続々と現れたことなどが挙げられます。また大薩摩節は、他の浄瑠璃と異なり、独自の三味線方を育成せず、長唄の三味線方に演奏を頼っていたことも、弱体化を早めた一因と言われています。
天明期(1781~1789年)に入ると、大薩摩節はさらに弱体化が進んでいきます。僅かに天明元年(1781年)に初演された『我背子恋相槌』(わがせここいのあいずち)(通称・蜘蛛の拍子舞※)が、名曲として現在まで伝承されています。
そして先細りの一途を辿っていた大薩摩節は、文政9年(1826年)3月に、家元の権利を長唄三味線方の四世杵屋三郎助(後の十世六左衛門)に預け、長唄の人々が大薩摩節を演奏することを許可しました。これをきっかけとして、長唄の曲節に、大薩摩節の曲節が取り入れられた新曲が、盛んに作られるようになりました。(つづく) (M)
※『蜘蛛の拍子舞』は初演時、大薩摩節と長唄の掛合で上演されました。
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