大薩摩節 その5

おおざつまぶし その5

 明治元年(1868年)8月には、杵屋三郎助の子である三世杵屋勘五郎に、大薩摩節の家元権が正式に譲渡されました。大薩摩弦太夫藤原直光浄空(おおざつまげんだゆうふじわらのなおみつじょうくう)と名乗った三世勘五郎は、大薩摩節の復興に尽力し、大薩摩節特有の手を「大薩摩四十八手」としてまとめました。また『橋弁慶』(はしべんけい)や、『兵四阿屋造』の詞章を用いた『渡辺綱館之段』(わたなべのつなやかたのだん)(通称・綱館)など、数々の名曲を作曲する一方で、『大薩摩杵屋系譜』(おおざつまきねやけいふ)を編纂するなど、その功績は非常に大きいものがあります。

 こうして〝大薩摩節〟は、長唄に吸収されてしまいましたが、そのことが逆に現代への伝承に繋がりました。

 なお幕外の大薩摩は、寛政4年(1792年)の河原崎座の顔見世『大船盛鰕顔見勢』(おおふなもりえびのかおみせ)で、三世杵屋六三郎(後の九世六左衛門)が始めたものと言われています。現在では〝大薩摩〟というと、こちらを思い浮かべる方が多いと思いますが、あくまでも大薩摩の特殊演奏です。(M)


▲長唄『五條橋』の正本表紙 明治36年(1903年)刊・個人蔵(禁無断転載)
『五條橋』は、先行作品である『橋弁慶』をもとにして、大薩摩節の特徴を巧みに取り入れて作られた作品。

[大薩摩節 その4]



解説

歌舞伎 今日のことば

バックナンバー