紙衣(紙子)
『廓文章』のなかで、散財の果てに勘当をうけた藤屋の若旦那伊左衛門は、紙衣(紙で作った衣)を着て恋人、夕霧のいる吉田屋の店先に現れます。紙衣姿の伊左衛門を見て、廓に来るには相応しからぬ貧乏人とみた吉田屋の若いものが箒を振上げ追い払おうとしますが、吉田屋主人喜左衛門により助けられ、座敷に招き入れられます。そして喜左衛門は、その紙衣姿に同情し、自分の羽織を着せてやります。
この場面では、紙衣は「お金がないから布の着物を買うことができない、紙で我慢せざるをえない」という、零落した伊左衛門の立場を端的に表わしていますが、本当に紙の衣は貧乏人の着る着物だったのでしょうか。
実は紙衣は防寒具として古くから用いられてきました。風を通す麻や綿、絹などと違い、繊維が詰まった紙は暖かいのです。
紙が高級品であった平安時代などには、蚕を殺して得る絹などと違い植物の繊維から作る紙の衣は、仏の教えにも合うということで僧侶に重用されました。室町、戦国時代になると戦のときに寒さを防ぐ衣服として武将達にも用いられますが、江戸時代に入り、紙が庶民の手にも届くものとして普及するとともに、紙衣も身近なものとして着用されるようになっていきます。
丈夫さのために縦横十文字に紙を漉き、繊維の毛羽立ちを押さえ防水効果を得るために柿渋をぬり、手で揉みしなやかさを出した紙は普段の防寒具や旅装用の合羽などに仕立てられました。河竹黙阿弥作『慶安太平記』の≪江戸城外濠端の場≫で丸橋忠弥が着ていた赤褐色の合羽も、実は柿渋を塗った紙衣であったかもしれません。※
助六は喧嘩沙汰を案じる母から、「これを破くような手荒な事はするな」と紙衣を着せられますが、それほど簡単に破れるものでもなかったようです。
絹などに比べれば安価ではありましたが、実際は貧しい人が、やむを得ず着るものでもなかったと思われます。逆に手の込んだものは、絹物より高価なものもあったようです。(み)
※ 台本では"赤合羽"(下級武士、中間などが着る合羽)となっている。
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