大津絵
おおつえ
舞踊≪藤娘≫は『哥へす/\余波大津画(かえすがえすおなごりおおつえ)』という変化(へんげ)舞踊の一部です。
この外題の中にある<大津絵>とは、近江国で寛永年間(1624年~1644年)頃から描かれ始めた民画です。素朴で伸びやかな筆遣いとユーモラスな画題、明るい色使いから人気がでて、いつのころからか≪大津絵≫と呼ばれ東海道大津宿のみやげ物として有名になりました。
最初は仏画からはじまった大津絵ですが、次第に"鬼の寒念仏"や"雷の太鼓吊り(落とした太鼓を雷公が吊り上げようとしている)""瓢箪鯰(口の小さな瓢箪で大きな鯰を捕らえようとする)"など<大津絵十種>と言われるひょうきんな図柄が定着します。
『ひらかな盛衰記』<逆櫓>でも、三井寺へ巡礼に出かけた帰り、大津の宿で孫の槌松を木曽の駒若君と取り違えられた権四郎が、孫に大津絵を買ってやったと述懐しています。「鬼と外法(げほう=福禄寿)の絵を選んだのは、鬼のように丈夫に、福禄寿のように長命であるように...」と言っているので、当時は魔よけや祈願のお札のような意味合いも多く持っていたと思われます。
文政9年(1826)、江戸で活躍してきた関三十郎が19年ぶりに出身地の大坂へ帰ることになった際、お名残狂言として上演した『けいせい反魂香』の大切に、有名な大津絵の主題から五つ"藤娘""座頭""天神""船頭""奴"を踊りに仕立てました。これが『哥へす/\余波大津画』の初演で、『傾城反魂香』の主人公浮世又平が描いた大津絵が抜け出して踊りだすという趣向になっていました。(み)
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