首実検の扇

くびじっけんのおうぎ

 平敦盛の首実検のため熊谷直実の陣屋まで出向いた源義経は、首桶に据えられた敦盛の首を前に、おもむろに扇を取り出して拡げ、その骨の隙間から首を検分します。
首実検には"鎧兜の武装した姿で行う(=首実検が済むまでは戦は終結していないという意味、死者への礼とも言われています)"、"首と検分する大将の間は距離を置く(将門の首のように飛びつかれないように)"...など、いろいろな作法があったようですが、"扇をかざしてその骨の隙間から首を見る"ことも作法のひとつにはいっています。

 この「扇の骨の隙間から見る」という動作は、作法以前に呪術的な意味合を含んでいると思われます。
 古来、籠目や網目になったものを置く、かざすという行為は、向こう側にあるものと自分の間に結界を張ることを意味しています。『勧進帳』の山伏問答にも出てくる≪九字の印≫(よく映画などで忍者が、「臨兵闘者皆陣裂在前」と唱えながら横々縦々...と手刀を切る動作です)も、実は手刀を切ることで自分の前に網目を作り、災いがこちらに及ばぬようにするものだといいます。

 また、その網目、または桟、何も無いときは指を重ねてその隙間から物を透かして見ることは、相手から自分の身を見えなくすることとともに、相手の本性を見ることを可能にする動作です。
お天気を占うとか、じゃんけんで何を出せば勝てるか予見するといって掌を組み合わせ、その隙間から覗くのも、そのことに由来しているのでしょう。

 さて、扇の骨の間から窺う"敦盛の首"、義経はどんな真実をみるのでしょうか。(み)



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