
大薩摩節 その2
おおざつまぶし その2

▲初代豊国画「二代目大栢莚團十郎」天保4年(1833年)頃・角版摺物・国立国会図書館蔵(禁無断転載)二世市川團十郎の『矢の根』を描いた摺物。
大薩摩の名前が初めて歌舞伎の記録に現れるのは、享保2年(1717年)の森田座の顔見世『奉納太平記』(ほうのうたいへいき)です。当時の記録には「大ざつまひぜん太夫上るりにて道行のしょさ」とあり、大薩摩を用いた道行所作事があったことが判ります。しかし〝大ざつまひぜん太夫〟が、大薩摩主膳太夫とどのような関係にあったのかは、やはり不明です。
主膳太夫の名を確認することが出来る最古の記録は、享保5年(1720年)のものです。この年の森田座の『楪根元曽我』(ゆづりはこんげんそが)で、二世市川團十郎が曽我五郎を勤めましたが、五郎が橋掛かりから登場する際の浄瑠璃を主膳太夫が語り、好評を博しました。
享保14年(1729年)、中村座で上演された『扇恵方曽我』(すえひろえほうそが)の一幕として、『ゆづりはの五郎』の外題で、歌舞伎十八番の『矢の根』が初演されました。次に引用したのは、『矢の根』初演時の評判記の記述です。
はしがゝりの亭にて、矢の根をといで、主膳大夫が上るりに合わせての仕内、無類の大当り、十郎が夢の告を聞て、馬にのつて祐経やかたへかけ出さるゝ幕、大ばね大当たり
二世團十郎が『矢の根』で見せた荒事の演技は、大薩摩主膳太夫の浄瑠璃と相俟って好評を博し、記録的な大当たりをとりました。そしてこの興行は、正月から5月まで打ち続け、売上高は4221両に及んだと伝えられています。この『矢の根』の大当りは、大薩摩節が飛躍する大きなきっかけとなりました。(つづく) (M)

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