お数寄屋坊主

おすきやぼうず

 江戸城で将軍や重役、登城した大名たちを世話し、調度を整えたりするのが御坊主衆(おぼうずしゅう。お坊主、お茶坊主、茶道坊主※1などともいう)という役職の人々です。

 御表坊主(おおもてぼうず=公式の場の案内や取次ぎ、給仕など担当)、奥坊主(おくぼうず=将軍の私的な部屋の世話担当)、御土圭坊主(おとけいぼうず=時計担当)、御用部屋坊主(ごようべやぼうず=重役クラスの執務室である御用部屋担当)......など、いろいろ役まわりがある中でお数寄屋坊主というのは茶道の接待担当です。

 御坊主衆の身分は御目見(おめみえ)以下※2の御家人ですが、職務上、本来なら御前に出られないはずの将軍の側近く仕えます。また大名家も登城のたびに世話になることですし、彼らからなにか噂が上層部の耳に入っては...という懸念もあるので、自然手厚く扱いました。

 その職権を笠に着て権勢を得るものもいたようで、
 「たとへ騙りの名はあっても、お城を勤めるお数寄屋坊主。此(この)河内山は直参だ、高が国主であろうが大名風情に裁許(さいきょ)をうける謂(いわ)れはねぇ。」
 と宗俊が威勢のいい啖呵を切っても、いかにもありそうなことだと納得できる役職だったのです。(み)

※1 一般に"お茶坊主"、"茶道坊主"と言うと、お数寄屋坊主のことだけを指すのでなく、御坊主衆すべてのことを指す場合が多いようです。
※2 徳川家の家来で家祿一万石以上のものを譜代大名、一万石未満二百石以上のものを旗本、二百石未満を御家人といいます。将軍家に拝謁できる"御目見(おめみえ)"は基本的に二百石以上の者ですので、必然的に"御目見以上"といえば旗本、"御目見以下"は御家人を指しました。



解説

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