
水天宮
すいてんぐう

「情けありまの水天宮」。
『水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)』で、主人公幸兵衛も口にしているこの言葉は「おそれ入谷の鬼子母神」と並んで、江戸っ子の常套句だったようです。
幸兵衛が信心する東京の水天宮は、現在中央区日本橋蛎殻町(かきがらちょう)にあります。
が、ここに移転したのは明治になってからで、江戸時代は芝赤羽橋の久留米藩21万石、有馬家上屋敷の敷地内にありました。この有馬藩上屋敷内の水天宮は、文政元年(1818年)、九代目藩主頼徳(よりのり)が、お国許久留米にある総本山水天宮から江戸の上屋敷に分祀したのですが、祭神が安徳天皇と二位尼であるところから"尼御前大明神"とも呼ばれ、水にゆかりの深い神様なので水難よけの神社として信仰されました。
本来は有馬家の屋敷神ですので当家にかかわりの無い人々はお参りできないはずなのですが、たいそうご利益があると口コミで江戸中に広まり、人気が先行。塀の外からお賽銭が投げ込まれるほどになりましたので、有馬家では毎月5日のご縁日に一般の参詣を許すことにしました。その日はお参りの人と縁日の露店とで、赤羽根橋周辺はごったがえしたそうです。
町人がお参りできないところを温情をもってお許し下された、というのが"情け有馬の"と洒落をかけていわれるようになった所以です。
その有馬家の屋敷内にあった水天宮は、明治4年(1871年)に有馬家の移転にともない赤坂へ移り、翌年、現在の地へ再度移転し今に至っています。『水天宮利生深川』の初演は明治18年(1855年)2月千歳座ですので、幸兵衛がお参りに行き額を授かってきたのは、現在の蛎殻町のほうの水天宮となります。(み)

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