月乃助が劇団新派入団、喜多村緑郎襲名へ

月乃助が劇団新派入団、喜多村緑郎襲名へ

 新派入団を発表した
市川月乃助と、水谷八重子(右)、波乃久里子(左)

 2016年1月、三越劇場「初春新派公演」において、市川月乃助が劇団新派に入団することが発表されました。

 月乃助が来年1月、三越劇場「初春新派公演」で劇団新派に入団、3月、6月の公演出演ののち、9月の新橋演舞場、大阪松竹座「新派特別公演」において、市川月乃助改め二代目喜多村緑郎襲名披露が行われることが決まりました。

新派の大名跡を襲名
 昭和63(1988)年4月に初舞台を踏んで以来、猿翁一門として歌舞伎の立役で活躍してきた月乃助は、平成23(2011)年1月三越劇場『日本橋』の葛木晋三で初めて新派に出演しました。その演出が文学座の戌井市郎氏で、新派の名優、喜多村緑郎の孫にあたります。襲名について月乃助は、「たいへん光栄に思っております。同時に身震いするほど、身の引き締まる思いです」と緊張の様子をうかがわせ、名跡の大きさを「初めて背中に大きいものを背負った」と表現しました。

 また、新派の大きな名跡の襲名を誇らしく思うとコメントを発表した猿翁からは、「私のもとで修業を重ねた経験を活かし、大名跡にふさわしい花のある役者になってほしい」とはなむけの言葉も贈られました。

月乃助が劇団新派入団、喜多村緑郎襲名へ

新派の舞台にかける思い
 部屋子となった頃から(平成6年3月)、師である猿翁には「新派に合っている」と言われていたという月乃助は、実際に新派の舞台に立って「この演劇が大好き」だと思い、『婦系図(おんなけいず)』の早瀬主税を演じて(平成25年10月三越劇場)、「ここに骨をうずめたい」と思うに至ったと語りました。

 戌井氏から『日本橋』の演出を受けた折に、「いろんなことをやってほしい。特に『歌行燈』をやってほしい」と言われたとも明かしましたが、「今は、新派の先輩方が培っていらっしゃったものをなんとか盗み、教えを乞うて、集中して邁進する覚悟」と、謙虚に、そして貪欲に新たな地での精進を誓いました。

大きな期待を受けての入団
 新派に男優が入団するのは昭和48(1973)年の菅原謙次以来、また、喜多村緑郎の名跡復活は55年ぶりとあって、会見に同席した水谷八重子、波乃久里子も「こんなにうれしいことはない」と、手放しの歓迎ぶり。水谷は、「喜多村先生はリアルに基づいた芝居をする、新派の教科書のような人でした。その喜多村先生をもう一度いただき、新派一丸となって一人でも多くの方に、あそこには明治の日本がある、楽しい芝居があると思っていただける劇団に」とこれからへの思いを語りました。

 波乃も、「初共演の『日本橋』で、これほど新派に合う人はいないと、千穐楽の日に入団をお願いしていました。敵役でもなんでもできる人です。新派の大きな財産をもらったと思っています」と話し、教え子を送り出した猿翁に感謝しました。

 南座9月の『あらしのよるに』以降は歌舞伎への出演は今のところありませんが、「歌舞伎から離れた、という感覚はありません」と、月乃助は歌舞伎の舞台に立つ可能性も否定しませんでした。「歌舞伎を旧派としての新派。そこを広くとらえてゆくゆくは、さまざまなチャレンジをしていきたい」と意気込んだ月乃助に、いっそう大きな期待が寄せられた会見となりました。

2015/11/16