藤十郎・團十郎「壽初春大歌舞伎」記者懇親会

 平成18年11月15日、坂田藤十郎、市川團十郎が出席して、大阪松竹座新築開場十周年記念「壽初春大歌舞伎」の記者懇親会が行われました。

 坂田藤十郎と市川團十郎の初世は、元禄という同時代を生き、それぞれ上方の和事と江戸の荒事を創始し活躍したと言われています。しかし、この東西の大名跡が同じ舞台を踏んだことは、歌舞伎史上ただの一度もなく、本公演は、後世に残る、歴史的顔合わせの大歌舞伎です。

まず、藤十郎より、
 「松竹座十周年、早いものでございます。江戸歌舞伎を代表する市川團十郎と、上方歌舞伎の坂田藤十郎、その看板を早く上げたい、ご一緒したいと思っておりましたが、こうして、松竹座十周年のお正月に、それも團十郎さんが江戸から浪花の地へ来て下さる、ほんとにうれしゅうございます。
 藤十郎と團十郎が同じ舞台に立つのは初めての事、ということは、これからが始まりです。"平成の藤十郎・平成の團十郎"として、これからの歴史に残るような歌舞伎役者にならなくてはならない。何百年の後にも語り継がれるような公演にしたいと思っています。」

続いて團十郎から
 「明年の壽初春大歌舞伎に久しぶりに浪花の舞台に立たせていただくことに相成りました。実は、昨年山城屋さんのご襲名の舞台に出させていただく予定でございましたが、残念ながら病気のため、ご一緒の舞台を踏めず、申し訳なくまた、残念に思っておりました。それが、来春松竹座十周年という記念の年にご一緒の舞台に立たせていただけること、本当に嬉しく思っています。
 初世以来、藤十郎と團十郎の共演はなく、この平成の時代になり、歌舞伎の歴史に新しい1ページを開くことができるということは非常に嬉しく思いますし、また、責任のあることだと感じております。」

共演されるのが『勧進帳』ですが---

藤十郎
 「歌舞伎は、剛のものと柔のものが一緒になって一つのものを作り出します。江戸歌舞伎の象徴と上方の象徴が並んで舞台に立つことで、歌舞伎の良さというものが一番出せるのではないでしょうか。」

團十郎
 「『勧進帳』は、市川家・歌舞伎十八番の中でも最も大切な狂言の一つでございます。初世團十郎と藤十郎がお会いしたかどうか正確にはわかりませんが、初世が残している言葉"柔と剛がバランスよくあることが芝居にとって大事だ"ということが具現化できる第一歩ではないかな、と感じております。」

20061115_02

夜の部には『仮名手本忠臣蔵九段目 山科閑居』でもお二人が顔を合わせます---

藤十郎
 「上方歌舞伎では丸本歌舞伎はとても大事なもの。こちらもまた、新しい気持ちで勤めたいと思っております。忠臣蔵の中でも九段目は一番大きく、先日、文楽の住大夫さんとお話した時も、一番大変だとうかがいました。私も特に大事に思っている演目の一つです。」

江戸と上方の両輪がそろった感慨について

---
團十郎
 「私が團十郎を名乗らせていただけるのは代々のおかげ。私は代々続いた先祖に助けていただいているところがありますが、藤十郎さんは、一度途絶えたお名前を復活させたということで、それは並大抵のご努力ではないと思います。歴史の教科書にも、"西の坂田藤十郎、東の市川團十郎"と必ず出てきますが、字だけでは駄目なんです。その名が今よみがえって、現実に活字から具現化して動き出してる、それが凄いことだなと、また、それによってまた新しいことがあるんじゃないのかなと思っています。」

藤十郎
 「團十郎さんの言葉、ありがたいと思います。平成の時代に二つの名前がそろったということ、この責任は重大ですが、やりがいもあります。力いっぱいというか、全部を出し切っていきたい。そしてもう一度しっかりと自分を見つめて、長く続いている團十郎さんのお名前のようになるために頑張っていきたいと思うのと同時に、もうすぐ、お正月にご一緒できるという喜びを改めて感じます。
上方歌舞伎と江戸歌舞伎、両方が同じように栄えていかないと、歌舞伎は成り立っていきません。だから本当に大事な一月公演だと思います。このことを、世間にはっきり伝える大きな公演だと思っています。」

 藤十郎・團十郎の共演は、昼の部では歌舞伎十八番『勧進帳』、夜の部では義太夫狂言の傑作『仮名手本忠臣蔵九段目 山科閑居』です。
 また昼の部には初役で六助を演じる翫雀、扇雀、進之介による『毛谷村』に、藤十郎、我當、秀太郎ら上方ゆかりの出演者による上方和事の代表作『封印切』が上演され、夜の部は海老蔵が粂寺弾正を初役で演じる『毛抜』、そして『藤娘』の扇雀、『供奴』の翫雀も本興行では初役となります。東西から賑やかな顔ぶれが集まる、記念の年の劈頭を飾るにふさわしい華やかな初芝居「壽初春大歌舞伎」、今から楽しみです。

2006/11/15